掲示版: 話題「原作と違うって何?」 (ヒコ一キグモ)
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Re: 原作と違うって何? | ||
mal | 2001年12月16日03時32分更新 | |
全く個人的な意見で恐縮すが、本を読むという行為と映画を作るという行為が、根本的に似ているものなので、多くの人がつい原作と映画を比べてしまうのではないでしょうか。私は本を読んでいる時、頭の中に自分の映画(というほどのものではありませんが、画像とでもいうようなものです)を作っていく過程を楽しんでいます。映画監督の仕事は、原作なり脚本なりから得る自分の頭の中の画像、本来は自分だけのためにあるようなそれを、音や感覚まで含めて他人が楽しむための作品という形にするようなことなのではないかと思うんです。ですから、原作を読んだ時に作り上げた自分だけの映画と、映画監督という職業の人が作り上げた映画とを比べることには、必然性はないかもしれませんが、罪もないことのように思います。単純に言って、私たちはアマチュアで映画監督はプロなので、私たちの描いた以上のものを求めるのはごく自然なことではないでしょうか。その意味で、ベストセラーの映画化はたいへん挑戦的な作業だと思います。 私の場合、「原作を忠実に再現している」というのは、映画に物足りなさを感じている場合と、忠実で良かったという場合の両方があります。どちらの場合になるかは原作の質に左右されることが多いですね。 例えば『ハリー・ポッター』は私はまだ見ていませんが、予告編等を見る限りたいへん「原作に忠実」と感じていますし、また多くの方が同じように思っていらっしゃるようです。これは、原作の素晴らしさが読む人に作者が描いたイメージを的確に伝えているので、監督と私たちが一致したということではないかと思っています。「原作に忠実すぎる」=不満という図式も理解できますが、私はこの作品に関しては、私のイメージどおりのハーマイオニに見る前から大満足です。ファンタジーなのでそれでいいと思うんです。 また、『バトルロワイヤル』に関しては、こちらは「原作に忠実でない」映画の代表だと思うんですが、私もイリューダさんと同じく映画版否定派です。私の場合、ヒコーキグモさんと反対に、10時間の内容を2時間にまとめきっていない、と感じました。それは、個人的に原作の内容を、10時間で300時間分ぐらいの広がりを必要としていて、この作品のではその広がりの部分が要になっている、と解釈しているからです。 確かに、原作と比べる類の映画ではない、というのは理想です。原作とは独立して一個の作品世界を確立している映画が最高なのでしょうが、原作がよい作品であればあるほど、映画がエンターテインメントである以上、求められているものを無視しては成り立たないと思います。 | ||
小説の映画化と言うこと | ||
ボイス母 | 2001年12月16日11時44分更新 | |
スイマセン、一言言わせてください。
つまり、原作の映画化という問題は常に、どのエピソードを採り、ナニを切るか?にかかっているような気がします。 たとえば、『ロング・グッドバイ』=アルトマン監督作・原作とは全然違う時代設定+風俗+物語になっていますが、フィリップ・マーロウという人物の佇まいの解釈が圧倒的に素晴らしく、「あ、こういう人だったんだ!」と改めて観客に認識させる造形になっています。 つまり、コレは「監督というフィルターを通して原作に新しい生命が吹き込まれた素晴らしい実例」であります。 一方、話題の『ハリ・ポタ』ですが、ワシは全然この映画を支持していません。その理由はコメントに書いてある通りなのですが(赤レヴューなので未見の方は読めませんが)、つまり、言いたいのは、「この映画には監督のフィルターが通されていない」という事なのです。 どちらかというと、「アンタ達ファンが見たいのはコレでしょう?それともコッチかなあ?」という「万人の視線を意識した作り」ダケが(ワシに)見えるのが、この映画が一番不満な理由です。 それと、原作に描かれた真のテーマが丸ごと骨抜きにされているところも、不満でした。 多少の物語の端折りは映画化においては仕方がないことです。 しかし、その物語が持つ、核の部分。「本当のテーマ」は確実に、スクリーンの中に刻みつけて貰いたいと願っています。 ソレが監督の原作者と観客に対する(読者だった人も読者でなかった人も)礼儀でしょう? 「作品のあらすじをダイジェスト化」や「小さく二時間にまとめてみました」では、たとえ「原作に忠実」と言い張ったところで、映画化する意味なんてナイのです。 原作を越え、読者の想像や予想を超え、時代を超えてこその映画化ではないでしょうか? ソレはイリューダさんやhsxさんが述べていらっしゃるように、「監督自身の個性を込める」「書かれていない部分を読み解く」という事と繋がりが深いからだと考えます。 | ||
Re: 原作と違うって何? | ||
らいてふ | 2001年12月16日17時10分更新 | |
ヒコーキグモさん、コメンテータのみなさん、こんにちは。
・私の場合、原作が存在する映画のときは、「どうすれば、より映画を楽しめるか」ということを考えて情報戦略をねっています。 ・大成功した原作の映画化の場合、原作がひとつの頂点であることは想像に難くないので、原作読まずに情報をなるべく遮断して映画に望みます。映画をみてがっかりすると損ですから。「知らぬが仏」で、映画が最初の体験のほうが楽しめることも多いようです。私にとっては『リング』『バトルロワイアル』『ブリジット・ジョーンズの日記』『デューン/砂の惑星』がこれにあたるでしょうか。 ・同じ大成功でもカルト的に盛り上がった原作の場合は、ちゃんと原作を踏まえて見たほうが楽しめる場合がありますね。テレビアニメの映画化などが、このパターンかな。『宇宙戦艦ヤマト』『新世紀エヴァンゲリオン』とか。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』もこの範疇でしょうか。原作とはいえないけど、インターネットでの宣伝やお祭り騒ぎに参加してから観ると、より楽しめるという意味で。 ・順番を間違えて楽しめないこともしばしばあります。たとえば、「ドリトル先生」ものは、小学校のときにわくわくして全冊読破した思い入れがあって、『ドクター・ドリトル』シリーズを見ても、評価に困ってしまいます。映画自体は、まとまりがあってとても楽しい作品なのですけどね。 ・逆に、『カウボーイ・ビバップ/天国の扉』『幻想魔伝最遊記』などは、映画だけ観ても主人公達の行動目的や性格などが飲み込めず、テレビ版を先に見ておけばよかったと思いました。 ・『ハリー・ポッターと賢者の石』について、詳しくは赤レビューに書きましたが、原作を映画という単独の「作品化」したものとしては、欠点がめだつのですが、原作を読んでみると、ページをめくるたびに映画が「豪華な動く挿絵」として思い出され、いままでに味わったことの無い充実感と感動を覚えました。映画に、こういう楽しみ方があるとは新しい収穫でした。 ・予断をもって映画を評価するのは反則かもしれませんが、映画が楽しくなるなら予断でも偏見でもすすんでハマるようにしてます。アイドル映画なんかも、ファンが応援するつもりで観ると楽しさ100倍ですしね(笑)。原作に忠実か、原作を越えているか、については個人的にはどっちでも良い(批評のよりどころでない)です。楽しめたらなんでもアリ。 ・これからも「指輪物語」「ハリー・ポッターと秘密の部屋」という大物が控えておりますが、「読んでから観るか、観てから読むか」と、『人間の証明』ばりに悩んでおります〜(あれは、角川書店が両方で儲けようというつもりだったにちがいないけど)。 | ||
Re: 原作と違うって何? | ||
ヒコ一キグモ | 2001年12月16日23時59分更新 | |
たくさんの返事どうもありがとうございました。 大変感謝してます。
最初に『バトルロワイヤル』を兼ね合いにだして失敗しました。私もhsxさんと同じ意見で映画版は原作をまとめられてないとかんじました(笑)。よく2時間で終わらせたなと関心しました。(稚拙な文章力で真意が伝わらずすいません)おっしゃる通り、300時間の広がりはかるくある素晴らしい原作だと思ってます。
でも僕は言葉を借りるなら映画版肯定派です。ちなみにこの作品はマンガもでてますが、映画・マンガとも違う角度から原作にメスを入れた同じ名前の全く別の作品だと考えてます。この作品だけじゃなく他の作品も原作と映画は別のものと評価しています。 僕は原作より心理描写等が劣るから映画としての完成度も劣るとは思ってません。『バトルロワイアル』に関して言うと僕は5点をいれてますが、原作をまとめてるからではなく、映画として他の邦画より秀でているからこそ高い評価をしました。 つまり僕の採点の尺度(対象)は他の映画より面白いかどうか、ということにつきます。 例えば「☆2 原作のほうが面白かった」 と評価があるとすると、まるで原作に劣るから2点みたいに思えるのです。 じゃあこの人は他の映画と比べてもはたして2点なのだろうか?採点の尺度(対象)がその原作と比べてなんじゃないか?と疑問を感じるのです。 面白い原作を見てこれが映画になったらどうなるんだろう?とは僕も含め誰もが思うことだと思います。 でも小説は映画と違って画像や音がない分、頭の中でその世界観を想像しながら読み進めるものなので、その世界観は十人十色で監督と同じ世界観を持つことは難しいことだと思います。イリューダさんの勝ち目の薄いギャンブルという表現は僕の価値感にもあてはまります。僕はイリューダさんと違って原作に勝る映画というのを見たことがないので、いまさら原作を映画の批評の引き合いにだされるのはどうなんだろう?とかねてから思っていたのです。 『砂の器』是非参考にさせていただきます。 僕は映画を楽しみたい。今まで単純に原作を切り離して評価をしたり、鑑賞していましたが。らいてふさんのような楽しみ方も参考にさせてもらいます。 | ||
原作付きの映画について | ||
トシ | 2001年12月20日10時51分更新 | |
ヒコーキグモ様、初めましてトシと申します、よろしくお願いします。私も少し発言させて下さい。
私は、「原作」と「映画」を切り離して観る派です。従って、比較して考える(評価する)事はありません。確かに「原作」の方が面白かったとか、「原作」より良かったという感想はあるかもしれませんが、でも同じ土俵での比較論は意味がないのではと私は思います。「小説」なり「文学」は自分一人の時間の中で、含んで噛んで飲み込んで戻して、また飲み込んだりして自分なりの世界を構築して味わい、それで完結するものだと思いますし、「映画」は監督の構築した世界を楽しめるかどうかで評価すればいいのではと思います。話題の『ハリーポッター』は未見ですが(当分原作は読めないと思います、子供が人に貸して返ってこないので)、映画だけで楽しめればそれでいいと考えています。ボイス母様の「ワシの想像力の勝ち!」というコメントは当然あり(私は勝った映画なし)ですが、私がボイス母様の頭の中を拝見させて楽しませていただくわけにはいきません(出来たらしてみたいですが)。また「原作のダイジェスト版」でもそれなりに意味があると思います。脚本家や、プロデューサー、監督のなんらかの考えはその映画に反映しているわけですから、その「映画」で判断すればいいんだと思います。ジョン・マクティアナン監督の『13ウォリアーズ』を観たとき、映像とか演技とかには満足しましたが、ドラマ(筋)部分に不満(話が良く解らない)が残り、自分の採点では低い点になりました。この映画に原作があるかどうか忘れましたが、原作を読んだ人、お話を知っている人にだけわかるような映画は、欲求不満が募りカタルシスは得られません。私は、そのもの自体で完結している映画(他の要素を知っていることでより楽しめるのは構いませんが)でないと観る価値がないと思います。「原作」と「映画」は別物との考え方は、強く支持しますし、「原作」と比較してのご意見もありですが、「原作」を知らないと訳が分からない映画だけはごめんです。
ボイス母様、文中のコメント無断引用、お許し下さい。 |
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