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disjunctiveさんのコメント: 更新順

★4夜に生きる(2016/米)観光とナンパから始まって挙句にKKKから宗教右派へ。御曹司集団劇という特殊形態の中にやがて何とも抗しがたいベンアフ文芸の秘密が花開く。ダイコンという恒常性の船に乗って、波乱にとんだ世界の荒波を彼は乗り切ったのである。[投票(2)]
★4劇場版 鬼滅の刃 無限列車編(2020/日)モブが事態を傍観している。感情はすべて講述される。これは演出の不在である。前半と後半の筋が関連を持たない。これは脚本の不在である。台詞の間が小津映画のような几帳面さで12コマずつ区切られている。これは編集の不在である。 [review][投票(2)]
★4けものがれ、俺らの猿と(2001/日)表現主義が通俗の筋に落ち込むのを嫌う一方、筋の幾何学性への好みは否定しようがなく、表現主義に適う形で筋の痕跡を把捉しようとする。あの喫茶店で、厭々に店番を営むうちに、体は経営センスを隠せなくなってしまう。[投票]
★4妖怪ハンター ヒルコ(1991/日)オカルトへの憎しみと女性嫌悪が互換してしまった。感情をあくまで顔容に委託する演出が終局的にこれらを揚棄して失恋を可能にするメカニズムは、やはり塚本・諸星らしく、どこまでも物象の誇張である。[投票]
★4拳銃(コルト)は俺のパスポート(1967/日)宍戸錠、そのアンパンマンのような頬が小林千登勢に惹かれ膨張する。膨張の極限には自壊がある。おのれの頬と向き合った彼は独り埋立地に赴く。頬の膨らみを遮るものはもはやない。が、次の瞬間、それは穿孔に嵌る。その快。[投票(1)]
★4十九歳の地図(1979/日)美術にせよ蟹江敬三にせよ、作り込みが場末を侘び寂びのスノビズムに解消してしまう。発声ができてない本間優二の天然がこれを救うかというと、頭から声が出てる感じが、やはり人を理屈に走らせてしまう。 [review][投票(2)]
★4不知火檢校(1960/日)障害者の性の問題をこの時代の倫理コードが主題化できる訳がない。不安な感じだけが何事かに帰着するのである。IQが高いという叙事の好ましさが悪事という叙情を圧殺。伏線の回収が気持ちよすぎて、回収される内容が問われなくなるのだ。[投票]
★4画家と庭師とカンパーニュ(2007/仏)スタローン(ダニエル・オートゥイユ)が画家? このミスキャストは実は正しい。重病人をルーヴルで連れまわす肉体派の奇行が、生体としてのジャン=ピエール・ダルッサンにわれわれをコミットさせる。スタローンの暗喩する肉体がものをいうのだ。[投票]
★4最も危険な遊戯(1978/日)声だけ聴いてれば原田芳雄パロで済ませられる。ガタイが異なるから原田を肉体の内に同定できない腹話術のような実存の不安が生じる。それはトランスジェンダーのような中性的な口振りであったり、歩くだけで曲芸になってしまう重心高い体のブレであったり。 [review][投票(4)]
★4台風クラブ(1984/日)表現を顔貌に頼れないなら行動の人になる他ない。多動の人々が一定の空間に追い込まれ、机を組み合わせる落ちゲーに勤しみ、感情の物体化を試みる。現実化さるべき彼岸は土曜半ドンのノスタルジーという台風明けの霊界だ。[投票(1)]
★3極道戦国志 不動(1996/日)疑似方言が劇を様式優先にするのだが、外観は博多で中身がシリアという曲芸がこれと合わない。事件と心理劇が交差せずに並走し、大道芸が話を進ませない。かろうじて磁場となるのは学園物という叙法。[投票]
★4座頭市血笑旅(1964/日)不幸は拡散することで人を繋ぐ。拡散には空間が必要だ。空間を描画するのは、おしめ探索による遠近法である。理詰めの筋はドミノ倒しのように軽く忙しく疑似家族を流転させる。引きとどめるのは加藤嘉の類型の重さである。[投票(2)]
★4アルプススタンドのはしの方(2020/日)試合運びを作者の価値観に隷属させる没精神の営みで冷笑を克服するジレンマ。作為の強烈さは筋を訓致できても実体は騙せない。没精神的な追憶は、後日談での三人の正気を疑う衣装として外化する。[投票(1)]
★4レイニーデイ・イン・ニューヨーク(2019/米)類型を同定する力は自分を知りたい願望であり、その副作用たる脊髄反射の集積としての生体の機械感(ピアノで発情!)。その実体化としての悪趣味寸前の美術の集積度。作者の好きなものしかそこには映らない。自分の中に没落していくその無窮動の威力。[投票(1)]
★4633爆撃隊(1964/英)実機とセットの機内を繋ぐのは俳優の顔芸。ヨットから家族へと話題を繋げ、人へ共感を向かわせるのは論理である。ハリー・アンドリュースの顎が青空に映える。待ち人の苦しさでその顎はどこまでも伸び渡り、やがて全てを包摂しねじ伏せたのだ。[投票]
★4夜がまた来る(1994/日)90年代の根津甚八は甚八であることがさぞかし気持ちよかったであろう。 [review][投票]
★4蜜蜂と遠雷(2019/日)斉藤由貴を頂点とする恐るべき群集自己愛劇。ただ一人自己愛を抑圧する松岡茉優の眼力は、腸からの失気を恐れるかのように不自然だ。遠雷とは自己愛の腹鳴。心傷への酔い痴れには漏れ出る気体の芳しさがある。[投票(1)]
★4緋牡丹博徒 花札勝負(1969/日)パンパンに膨れ上がった小池朝雄の頬が圧となって、ナルシシズムに酩酊する藤純子の鼻筋を事件に組み込んでいく。論理の運びに身を任せ、いつしかアラカンの頑張に「親分! 親分!」と盛り上がってしまう嬉し恥ずかし。[投票]
★3スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け(2019/米)死んだり蘇ったり、実に忙しい。雌が強すぎる気まずい三角関係は特異な死生観の結果なのか。生物の必然性から逸脱した事態に際して、感情を文芸的に拗らせようもなく困惑するボイエガ。対してドライバーの馬面が為す術もなく伸びやかになる特殊顔相学の夕べ。[投票(1)]
★4フィッシュストーリー(2009/日)全貌の露見に至って判然となるのは、隠蔽された筋というよりはむしろ、おかしなことをおかしく表現してきた舞台調のオーヴァーアクトによって仕込まれていた誠意の圧である。 [review][投票(1)]