★5 | DEVILMAN crybaby(2018/日) | 自分は湯浅政明のファンではなく、むしろアンチかもしれない。そんな自分が本作には度肝を抜かれた。善悪の逆転を描いた『デビルマン』の主人公に敢えて絶対善を背負わせた慧眼。湯浅監督の明は悪魔の心にくさびを打ち込む。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 劇場版 はいからさんが通る 後編 〜花の東京大ロマン〜(2018/日) | 物語はいくつもの愛のうねりが織りなされ、まさに佳境だというのにこの惨状には頭を抱えさせられる。作画力の低迷、古典である原作のギャグの無思慮な転用、演出の中だるみ。ここにきての新人監督へのバトンタッチがいかに危険かを考えなかったのか。古橋一浩の脚本は演劇的な盛り上がりを見事に構築しているのだから、前編のレベルの維持が為されておればと腹立たしいのだ。 | [投票(1)] |
★3 | 赤毛のアン 初恋(2017/カナダ) | アンの成長と時を同じくして、彼女をめぐる人々と世界も呼応して覚醒をはじめる。旧態依然としてヒステリーをまき散らす男性教師から、子供たちの興味と連動するカリキュラムを用意する女性教師への変革。そして恋を抱えるものたちの行動の主導権を握るのは、男たちを指揮しつつ自らの頭脳で結論を導き出す女たちなのだ。アンは女性の進歩主義の旗印であることを改めて確認させられた。 | [投票] |
★3 | 赤毛のアン(2017/カナダ) | ミーガン・フォローズのシリーズに比べれば、幼くトラブルメイカーぶりが際立つヒロインは危うきに過ぎ、やはりマリラやマシュウの目で彼女を見守る立場に自分の視点が移行しているのに気づく。オトナの俳優の面構えは概してよい。だが余韻のない演出はやはり気になり、どうやらTVムービーかとちょっと落胆する。自然描写にも感動がないのはどうしたものか。 | [投票] |
★3 | あいあい傘(2018/日) | 高橋メアリージュンとやべきょうすけの達者極まりない夫婦漫才に象徴されるように、ほぼ吉本新喜劇に近い作劇にやつがれが途方に暮れてしまったのは、これが「泣かせ話」とばかり紹介されていたからだ。エンドレス笑劇に免疫のない純粋関東ジジイとしては、お笑いの総攻撃に気圧されて、まるでお添え物のような泣かせ場面の淡泊さを糾弾する気力さえ奪われてしまった。 | [投票] |
★4 | さよならの朝に約束の花をかざろう(2018/日) | 俗っぽいファンタジー設定の意味をきちんと解き明かすなどさすがとは感じる。処女長編監督にして誰に恥じるべくもない出来だが、惜しむらくは自分の創造した世界に溺れてしまったか結末がくどすぎる。残心の思いをもってラスト10分は切り捨てるべきだろう。 [review] | [投票] |
★4 | きみの鳥はうたえる(2018/日) | 払暁のペイルオレンジの光に照らされ続ける時だけ、クズ男は明朗で優しい男の一面を誇示し続けられる。白昼では無神経で、粗暴で、人の心を意に介さない人間だというのに。これこそが青春の刹那的な特性そのものであり、そのタイムリミットを迎えればただのガキの甘えとしか断じられない虚像だ。柄本佑 がそんなろくでなし青年を好演。 [review] | [投票(4)] |
★4 | 若おかみは小学生!(2018/日) | 娘が自分のためだけでなく、他者に喜びを提供することにも我が身と同じ価値を見出してゆくこと。それは庇護者への甘えを脱ぎ捨て、自立した上でかつての庇護者の生き方をも引き継ぐ成長を見せることだ。「滅私奉公」ではない。形骸化した「方法」に意味を見出すことは、むしろ自分がモチベーションをあげて掴み取っていかねばならないことだからだ。 [review] | [投票(2)] |
★4 | 映画 聲の形(2016/日) | 現実問題として苛めっ子と苛められっ子は往々にして成り代わる。そしてやり取りされる言葉や行動は相手にとっては死を選ぶほどに苛烈なものとして響く。だが、ここで「死んだら負け」などとは言えないだろう。 [review] | [投票(3)] |
★3 | 音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!(2018/日) | 安易さを棄て、意志を賛美する阿部サダヲの叱責は、そのまま三木聡のメッセージととっていいのだろうが、この作品、逆に先祖返りしたように小ネタをばらまく作劇法が滲み出る。しかも小ネタは昔の三木作品そのままで新鮮さを著しく欠くのだ。完結を拒むストーリーの放置も含めて、三木の目指すベクトルが判然としないあたり焦燥感が残る。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 長髪大怪獣 ゲハラ(2009/日) | 所詮は「大人のお遊び」である。だが、この「大人の」であることが重要であり、『ギララの逆襲』等較べるにも価しない手間とアイデアと金がつぎ込まれていることが理解できる。財源があることが重要なのではなく、お遊びを真摯に遂行する志こそが求められるものなのだ。 [review] | [投票] |
★1 | シャタラー(1987/伊=日) | 吉川晃司のアイドル映画だったが、製作者の急死とともにヴァレリー監督に脚本を大幅に書き換えられ、B級マカロニアクションへと変わり果てた一作。血なまぐさい殺人と双方の卑劣な応酬が目立ち、それをつなぐダレた演出が画面を追う気力を奪う。でも、こうした試練を潜り抜けた吉川が、演技を真剣に考えるようになったことを考えれば、全く意義のない駄作とも言えない一作ではある。 | [投票] |
★2 | パパはわるものチャンピオン(2018/日) | 『お父さんのバックドロップ』の再来かと思えば盛り上がりのない平坦な一作。本物のプロレスシーンを活かせば、ドラマの多少のアラはカバーできるとの狡猾なアイディアではやっぱりストレスが溜まる。それだけではないのだ。 [review] | [投票] |
★4 | 判決、ふたつの希望(2017/レバノン=仏) | たとえば国家のようなシステムに比べ、われら人間は脆弱である。ほんの些細なアクシデントから生じた憎悪と断絶は激しいものでありながら、実はすべての断層を埋めてしまうことばすらあればお互いを認めるまでの抗争は永続するものではない。永久に攻撃をやめない怪物のようなシステムに拮抗し得る個人の思いを記すならば、それはやがて明らかにされる、大規模システムこそが為し得る暴虐への怒りだ。 | [投票(1)] |
★3 | マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー(2018/米) | アマンダ主導の物語ではいかにも弱く、事情によりメリル・ストリープの登場しない前半では奔放で表情過多な「若きドナ」リリー・ジェームスが目立つのは役柄ゆえだけではない。ストリープに似ていなくてもこの表現力は大した財産だ。ドナの親友たちの芸達者さも素晴らしく、彼女らあっての「もう一丁行ってみよう(原題)」とも言えそうだ。 [review] | [投票] |
★4 | 幼な子われらに生まれ(2017/日) | 人が人との暮らしをもつというのは、畢竟後悔の積み重ねか。そんな認識におとなが敗れるのは、後悔し続けた暮らしそのものに後悔したときだろう。宮藤官九郎も寺島しのぶも、その事実に敗北しながら決して醜いばかりのろくでなしではない。「家」制度の滅びとともに、家庭には居づらい人々が顕在化し続けているだけなのだから。 [review] | [投票(3)] |
★4 | 劇場版 はいからさんが通る 前編 〜紅緒、花の17歳〜(2017/日) | 大和和紀とは似て非なる西位輝美の絵柄にキャラを移行させ、あえて古典的少女タッチからデッサンを重視する少年漫画的要素も織り交ぜた絵としたことで、キャラの運動性に拍車がかかった。大時代的メロドラマの骨子を崩さず、それでも現代の観客に古さを感じさせない魅力を持ち込めた理由はそれだろう。大急ぎの展開も笑って許せる。 | [投票] |
★4 | ペンギン・ハイウェイ(2018/日) | 「動き」の面白みを前面に押し出したスペクタキュラーな見せ場は、あるいは「ただのジブリのエピゴーネン野郎」と石田祐康を呼ぶ誘惑に人を駆り立てるかもしれない。だが、若く柔軟なスタイルは見逃してはいけない特性だろう。そして作家的には決して教条主義を奉じるクソマジメ男ではなく、健康的なエロスの誇示もする作家性には好感がもてる。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 心が叫びたがってるんだ。(2015/日) | 発端と結末のアンバランスさが座り心地を悪くする。王子様話で最初から浮きまくっているヒロインを肯定するならばそこから脱出する「浮き」の終焉で話を閉じるあたりでいい。生臭い女のニオイを発するにはまだ早いだろう。野球部男の純朴な心持ちがなければ単なる俗人の爛れた関係物語にまで暴走してしまうのだ。こんな若者たちでは愛せない。 | [投票(1)] |
★2 | 未来のミライ(2018/日) | ロマンより現実の充足を求めるイマドキの主婦のみに向け発信されたこの作品を、事もあろうに子供連れで観に来る親の少ないことを祈る。ご都合主義の時間遡行によって育児に勤しむ親たちの苦労はいとも簡単に癒され、過去や未来の家族たちが長男を親思いに教育してくれることで親たちの失策もスルリと回避される。もはや長男の声が幼児のものとは思われないミスキャスト問題など、この粗雑さの前には霞んでしまうほどだ。 | [投票(4)] |