★3 | アース(2007/独=英) | これほどメイキングを見たくなる映画もない。事前調査と周到なロケハンと忍耐が輝かしく結実する。意識せぬ演技者たちの厳粛な奮闘という主題で未知領域の可視化をやってのけたスタッフたちに敬意を表したい。生態均衡が破られていく直前の不気味な軋みが聞こえる。 | [投票] |
★4 | ナイト&デイ(2010/米) | 絶え絶えの意識の間に大活劇がありその間の描写は省略されているという設定、面白くないわけではないが、省略を映画の本質として縦横無尽に駆使した山中貞雄と比較すれば児戯レベル。しかしこの省略が姑息な隠蔽レベルにまで堕落しているのではないことは明言しておく。 [review] | [投票(4)] |
★2 | シングルマン(2009/米) | 60年代イメージの復元の巧みさ以外楽しみようがない。映画冒頭から彼岸と此岸を行き来する主役の描写のくどさにはうんざりする。茶と黒を基調にした品の良い保守的色調にだまされるが,映像は見た目以上に押し付けがましい。ここまでのクローズアップも神経が磨り減る。 | [投票(1)] |
★4 | オープン・ユア・アイズ(1997/仏=スペイン) | ごく安易に本作を特徴付けてしまいたければ、ディックとヒッチコックの融合とでも言っておけばあらかたの特徴をカバーしたことになるだろう。しかし、「あらかた」の部分以上に、瞬殺的なまでに魅力的な映像のところどころをひねた鑑賞者は愛してしまう。 [review] | [投票] |
★4 | 特急二十世紀(1934/米) | 演劇者に対する悪意が原動力となった知的な喜劇。数年後ホークスは『ヒズ・ガール・フライデー』や『赤ちゃん教育』というこのジャンルの最高傑作を発表することになるが、既に本作は傑作である。これほど芸風の違う役者たちを束ねる統率力の高さといったら! | [投票] |
★4 | 空軍(1943/米) | ホークスは速度を知り尽くしている。巨大な重量物の発射と上昇と落下と爆発と停止のからみあうような映像の積み重なりがエロチックだ。本戦前の準備段階を丁寧に描くことで戦争の臨場感が高まることもよく知っている。上質の性技のようにマニピュレーション力が高い。 | [投票] |
★1 | カンゾー先生(1998/日) | 日本家屋固有のいつもの湿った光を描きたかったのか、あの敗戦の夏の日を特別に彩った強い陽光を描きたかったのか。見る人各様に異なる意味を放散しがちなフィクション映画に、リアルという一本の芯を通す映画制作の絶対必要条件としての光の調子の統一に失敗した作品。 | [投票] |
★2 | 55年夫妻(1955/インド) | 俳優達の顔を覆う翳りの濃さの魅力。潤みを帯びた温度感の高い照明の美しさは『渇き』と同様。ダンスホールの視線の交錯を絢爛と描いたシーンは見ごたえがあった。しかしこのコメディがインドの法制変化に対する本質的風刺になっていたとは感じられない。 | [投票] |
★2 | カリスマ(1999/日) | 「砂漠の中の一本の井戸を奪い合うという主筋の西部劇」のような映画であれば、どんなによかったろう。そういう別要素への還元が出来ない事情をはらむモチーフ群の複雑さ=こなれの悪さが痛々しい。狙いと結果が違ったように見えてならない。 | [投票(1)] |
★5 | 灰とダイヤモンド(1958/ポーランド) | 近景と遠景の被写体のグロテスクな意味論的対比により、カットバックに頼ることなく、一画面の中で支配=被支配の双方の生きる悲哀が音楽の対位法のように鮮やかに浮かび上がる。彫り深い照明に支えられ、トーランドを研究したと思しき撮影もトーランドを超えた。 | [投票(1)] |
★1 | ブロウ(2001/米) | スターの輝きしか光源のない、子供のつぶやきのようなレベルの映画だ。良心的に創ろうとする姿勢が映画の良心を生むのではない。いったん創られてしまった映像がいかように読まれうるのかについて監督が思考した形跡のない映画はとても空しい。 | [投票] |
★3 | アカルイミライ(2002/日) | 「荒み」を威風堂々と描ける映画作家に黒沢清はなった。工場経営や家庭生活といった目的的な活動の領域にテロルの陥没点を穿ち悪意の媒質を注ぎ込む登場人物たち(若い八人組含めて)と、命の慄きと怒りのイメージを託されたクラゲとの饗応関係の美しさに鳥肌が立つ。 | [投票(1)] |
★4 | 今日限りの命(1933/米) | この映画を観る限りホークスは映画創造の原理主義者である。登場人物の行動を世俗的な原理においても宗教的な原理においても我々は(恐らくホークスも)説明することが出来ないにもかかわらず、これ以外はない終着点に向けて映画が粛々と進行する澱みのなさに圧倒される。 | [投票(1)] |
★2 | インドシナ(1992/仏) | 親子丼モチーフを全面展開するほど下等ではないが、一刷毛の奥ゆかしさもない美術と照明に飾り立てられたフィルムの、銭湯の富士山のタイル絵並みの創造力には失望した。カトリーヌ・ドヌーヴが文芸映画的であるという致命的な誤認により完璧な失敗作が誕生。 | [投票] |
★3 | イグアナの夜(1964/米) | 男の焦燥感がメキシコの暑熱と集団旅行客たちのヒステリックな悲鳴によっていっそうあぶりたてられる様が面白い。男を取り巻く3人の天使たちの各様のエロティシズムの描き分けも良い出来栄えだが、とりわけデボラ・カーの非現実的たたずまいに魅了される。 | [投票(1)] |
★3 | 自由の幻想(1974/仏) | 一人の人物を説話の最初から最後まで描ききらなくともカタルシスを得られる。映画の統辞法を徹底的に無視しても燦然と画面が輝く。雑然とエピソードが並んでいるように見えて微妙な線で宗教者や医者や警察など権威筋がこき下ろされている。ブニュエルとは映画である。 | [投票] |
★2 | 復讐するは我にあり(1979/日) | 脚本の底の浅さを撮影と編集と俳優の演技がものの見事になぞってしまった。加害者行為としての悪行の幅、深み共にこのレベルで見せ続ける意図に疑問を持つ。現在と過去に行きつ戻りつする時制操作に緊張感なく、すべてにわたって鈍感な映画という印象。 | [投票(1)] |
★5 | アイアン・ホース(1924/米) | この映画はアメリカ文化史の貴重な資産であり続けるだろう。鉄道事業の完遂と、父親を殺された男の復讐劇と可憐な男女の恋が相互にモチーフを刺激しあってクライマックスに至る劇作術の巧みさと、跳ねるように進み行く画面の運動感の豊かさに言葉を失う。 | [投票(2)] |
★2 | オー・ブラザー!(2000/米) | 「セピア色の原風景の美しさ」などという批評には与しない。オデッセイアを原作としているらしいが、それには関係なく本作はアメリカ文学の伝統モティーフ「日常から逃走する少年」を視覚的に追体験させてみただけの刺激を欠いた反動的作品でしかない。 [review] | [投票] |
★4 | 告白(2010/日) | 時間を自在に圧縮、伸張する技術に加えて、鮮やかなカットバックによる時間遡行までやって見せる。多視点による一つの事件の進行解説の腕に何の疑問もさしはさむ余地はない。しかし、「人間の弱さ」に関する主題論的シンボルが乏しいために、深みは出なかった。 | [投票(1)] |