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disjunctiveさんのコメント: 更新順

★3エクスペンダブルズ2(2012/米)スタローンとステイサムの絡みはともかくとして、スタローンへ敬称を怠らないビリーの犬っぷりまで来ると、単なるオッサン版CCさくらに堕してしまう。 [review][投票]
★3恋におちたシェイクスピア(1998/英=米)興行主のトム・ウィルキンソンは、成長できるキャラ造形という点で、時間経過の指標となる。対照的に、ヴァイオラ側は、もはや変わりようがないという特性を引きずっている。 [review][投票(1)]
★4接吻 Seppun(2006/日)疎外が偏執狂を産出する機制と疎外の余地を与えるとは思えない偏執狂の充足感との対立からもたらされる感情の永久機関の闇は、しかし、病理学を信頼するあまり、それを聖化するほど明るいオプティミズムにも見える。[投票]
★4マレーナ(2000/米=伊)興行上、ファシズムの農村近代化を検討する立場を避けねばならないのは理解できるが、他に家計の手段があったと思わせることが話をスポイルするとすれば、近代化の肯定以外の何物でもなくなるのではないか。[投票(1)]
★3大災難P.T.A.(1987/米)天変地異に及ぶ男の無意識の迷惑な広がりは、境遇に対する戦慄が公共の福祉と結びつくことを頑なに拒絶している。そして内宇宙で夢見る旅人の湿りげな自意識が、腹回りの肉塊を突き抜け破水する。[投票]
★4つぐみ(1990/日)牧瀬理穂の屹立とした顔面は、光源によって趣を変えて行く表情筋の地誌である。90年代前半型デューク真田がそこに投じる不穏な影の往来が、われわれの欲望を、条例違反のボーダーライン上で縦揺させる。[投票(1)]
★4利休(1988/日)オッサンハーレムの神秘化は、男の内面に踏み込みたい俗化の視点によって挫折している。釣りバカ日誌の、呪いのような強制力と対峙した一方の男は、架空の自意識を露呈させ自分自身を眩惑せざるを得なくなる。[投票]
★4スリ(2008/香港)無業のオッサンという不妊の労働カーストは、種内托卵という同じ夢を見る。これは非対称の消耗戦ではなかった。人生に意味があったのだから。[投票]
★4ビデオドローム(1983/カナダ)生体に実装されたたったひとりの街角世界戦争は、役割から生じる義侠心を当てにしない。男に託された生暖かな包括代理権は、むしろ孤立の知覚の方へ身を寄せるように思う。[投票]
★4グッバイ、レーニン!(2003/独)福祉社会のビジョンが映像業界最末端に託されるという離心性は、含羞ではなく偶然であると措定されねば成り立たないだろう。自分のブライダルビデオが世界を救うと知った男は、その虚構性ゆえに、もっとも真実に近づくのだから。[投票]
★3カサブランカ(1942/米)社会性の幻聴が男の自尊心に愛するという義務を教育する。ただ、感情の規範性を追及するその性急さは、われわれのなかに女性嫌悪を呼びさますほど排他的なのだ。[投票]
★3マシンガン・パニック(1973/米)事件を日常のルーティンへ状況編成して行く心労が、酩酊のなかで、敗北の思い出を改編しようと想像力を鼓舞している。病める地上において実利的な生活が誕生する思い出を。[投票]
★4予言(2004/日)気勢を添わない決断が、取り返しのつかないことをしたという自惚れを許さないのだが、決断をしたという実感に欠けつづけるため、残酷なる時間の轟きというよりも、確実なことは唐突にしかできないという教訓的な諸観念の方に話が傾斜している印象がある。[投票]
★4コーラスライン(1985/米)作劇の必要上から、情実を資源にして感情を訴求する権利と技量を誤接続していて、しかもそこに自覚的であるがゆえに、作劇の政治学に身を売ってしまったという背徳感が見受けられる。若者たちにはその揺り戻しに翻弄されている感がある。[投票]
★4酒とバラの日々(1962/米)執着と節度が境をなくす界面において、人間は素面でありながら意識を失うという恵み深いアトラクションを体験する。アルコールに泰然として身を任せた興行は、公共広告機構の君臨する宇宙を安らかなるものにしてくれる。[投票]
★4追いつめられて(1987/米)儀礼的に持ちこたえていたハックマンの庶民性が運命に逆行しようとするとき、あるいは、われわれの加担するゲームが庶民の名のない実践に帰着するとき、庶民主義が詩意を以て人の美しさを語っている。それをここではよろこびたい。[投票]
★4四月物語(1998/日)末梢的な人生を迎えるにあたって、遁辞を弄するには野趣深いたか子の顔面は、しかし、その野太さゆえに、想像力の天蓋の下で少女マンガの必然と自由を謳歌する。[投票(2)]
★4ミニミニ大作戦(1969/英)好意が罰せられるという平和への希求が、作劇のラテン的好意に何か針で刺すような苦痛を伴わせるような気が。[投票]
★4プラダを着た悪魔(2006/米)やりがい搾取を穏当に肯んずるため、心の痛みを受容する力は豊かさを増す。それを女の万能感だと錯視させるほどに。自我を託すべきわれわれの面影が、運転手という神の見えざる身体にまで、圧搾されるほどに。[投票]
★3テレフォン(1977/米)不可侵の決定論(ブロンソンだから)が静穏の教訓として受容されたように見える。老後保障という彼岸から差し込める光の下で、彼は自分という神秘と和解したのだ。[投票]