★1 | ダウンタウン・ヒーローズ(1988/日) | この映画に、映画らしい「光」がフィルムの一コマにでもいいからあれば許そう。映画に対して決して観客としての傲慢をぶつけてはならないと思うその心を裏切られたような作品だ。良心作の面貌を一見呈しているので、なおのこと失望は深い。 [review] | [投票(1)] |
★3 | クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963/日) | 映画におけるクレージーキャッツが、ちゃらんぽらんなようでありながら実は理想的にまじめで直情径行な集団であることを示していて好きな作品だ。脚本は気が利かないし、身もふたも無いギャグに辟易するにしても、無責任社会の風刺の正確さと強烈さを買う。 | [投票] |
★3 | わが町(1956/日) | 人情劇でありながら、お涙頂戴のやりすぎを封じて、品よく端正にまとめて見せた作品。その端正さの極致ともいえるのが南田洋子で、戦後の明るさを一身に具現化してみせる。彼女と辰巳柳太郎演じる明治男の対照を際立たせたことがこの映画の肝。 | [投票] |
★4 | ノートルダムのせむし男(1939/米) | 鐘楼が人でも魔物でもない、つまり何者でもないカジモドという悲しい生き物の住処に実にふさわしい。ガーゴイルや巨大梵鐘が彼の生い立ちの奇怪さをうまく象徴している。スクリーンプロセスが強い効果を放つ傑作としても忘れ難い。スペクタクルであり続けた117分。 | [投票] |
★3 | 未来警察(1985/米) | 予算がなくとも工夫と知恵で映画は面白くなることを本作は教えてくれる。冒頭の軽い捕物、『めまい』の主人公のような弱点をもつトム・セレックの設定や高所の表現からこの映画が予想外に正統的なことが分かる。プロット全般にユーモアがある点を買う。 | [投票(1)] |
★2 | 裸足の伯爵夫人(1954/米) | 回想形式によって醸成される感傷は好みではない。それは時に甘いが大方は腐臭を伴う。プロットは聡明さとふくらみを欠く。主役2名の踏ん張りも出来の悪い構成が帳消しし、エドモンド・オブライエンら脇役の好演も、ロッサノ・ブラッツィの線の弱さで台無し。 | [投票] |
★5 | 緋色の街 スカーレット・ストリート(1945/米) | 登場人物の内面外面の造形の大胆なゆがみが映画の均整を崩しているグロテスクな美しさをどう評価しよう! 今はただ、ドイツ表現主義のハリウッドにおける新たな再生という陳腐な表現しか思い浮かばない。ワイラー流の古典的遠近法から最も遠いが、遠いゆえにこの映画は讃えられる。 | [投票(1)] |
★2 | インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国(2008/米) | 前3部作と違い山場から次の山場へとつながる部分のタメがずいぶんと弱くなっており、だらしなくストーリーが流れている。ここでハリソン・フォードの老いを指摘しても始まらない。そこを承知の上でのこの大スターをいかに輝かせるかが腕の奮い所のはず。 [review] | [投票(4)] |
★5 | 天が許し給う全て(1955/米) | ロック・ハドソンのさりげない登場の仕方にこの作家の真骨頂が露呈されている。物語が予定調和の始点からではなく、全く無意味の任意の1点から始まる! これこそメロドラマの仕掛けの本質ではないのか。現実界とドラマの錬金術のような化合ぶりが美しい。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 電車男(2005/日) | この映画が夢物語であることのあまりの自明性について考え始めると、フィルム表面に刻まれた映像群が十重二十重の多義性を帯びてくるから不思議である。技法陳腐、演出紋切り型といってしまえばそれまでのこの映画だが、意外に侮れない。 [review] | [投票(1)] |
★3 | アパッチ砦(1948/米) | 家族の関係と、組織内の上下の関係と、男と女の関係と、隣人同士の関係と、戦友たちの関係と、白人とインディアンの関係が複雑に錯綜して、説話化を拒否する不思議な映画。この映画は、アメリカ白人にとって、日本人における古事記のような位置を占めるのではないか。 | [投票(2)] |
★4 | ラッシーの勇気(1946/米) | 根気よく動物たちのベストの演技を待ち続ける待ちの姿勢が、シリーズ3作の中で最もよく表れている。アメリカの原風景としての桃源郷のような環境の中で犬と少女が睦みあう姿に、退行的幻想を感じ取ってしまう。故郷をあこがれる兵士とラッシーの姿が重なる。 | [投票] |
★4 | シュザンヌの生き方(1963/仏) | 女と男とカフェがあれば映画は出来上がる。ミニマルな素材から最良の味を引き出せるエリック・ロメールの手際は実に確か。知的なテーマ設定、見る者との間の駆け引き、エンディングのからみの効いた鮮やかさと軽やかさ。若い映画作家がお手本にしてほしい一編。 | [投票(2)] |
★3 | モンソーのパン屋の女の子(1962/仏) | シニカルな目線がすばらしい。ご都合主義的なストーリーテリングでありながら、作為性は希薄できわめて自然な流れを感じさせる。このスタイルはこの作家一貫して変わらない。20分弱という短編にここまで男のずるさをもりこめる脚本力も立派だ。 | [投票(3)] |
★2 | 平原児(1936/米) | 登場人物の造形の薄さといい、ラストの対決シーンの緊迫感の無さといい、赤色巨星化した恒星のごとき、へたれたセシル・B・デミルを堪能できる。スクリーン・プロセスの使い方などうまいとは思うが、爺臭さ満点。時代を超え切れない愛らしさを楽しもう。 | [投票(1)] |
★2 | 山のあなた 徳市の恋(2008/日) | 俳優たちの渾身の演技を音と照明が台無しにした。音にまつわる映画だからこそ、この音演出の下手さが際立ってしまう。細かな音の拾いすぎ。盲目者の聴覚の世界を音に頼らず演技で見せてこそ映画だ。屋内の明るさも、屋内光源と屋外自然光のどちらで表現したいのか不明。 | [投票(2)] |
★3 | 隠された記憶(2005/仏=オーストリア=独=伊) | 辻褄あわせに腐心するために入る妙な肩の力は抜けているが、気だけは最後まで抜けていない。カットごとに発生するコントラストが強く、長廻しショットが緊迫感をさらに盛り上げる。映像内映像の奇想もよい。自分たちを普通と思っている我々を激しく撃つ。 | [投票] |
★4 | 山猫(1963/伊) | 全てを見届け、これから長いのか短いのか分からぬ人生の午後を生きていく老貴族の熾き火のような感情を、克明極まりない演技で見せ付けられる。自分の属する階級への愛着と時代に取り残される忌避感覚の複雑な混交が、ベラスケスの絵画のように濃密な画面の中で展開する、その激しさ。 | [投票(2)] |
★3 | ケイン号の叛乱(1954/米) | 話の組み立てにいい加減なところが無く、好感が持てる。超人や極悪人を出すことなく、通常大きな組織なら必ずいるであろう人物同士の関係が精密に誠実に描かれている。描くべきテーマに沿って、きちんと演じて見せた俳優陣たちに敬意を表したい。 | [投票(1)] |
★5 | 戦火のかなた(1946/伊) | 公的権力が発禁にすべき危険な映画の筆頭に挙げる。鷲掴みにされた現実が四角いフレームの中で悲鳴をあげて発火している。駅のプラットホームに立つ我々を突如真後ろから突き落とすような邪悪な何者かが、引き締まりからからに干上がった映像の深層に潜んでいる。 | [投票(2)] |