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disjunctiveさんのコメント: 更新順

★4ビトレイヤー(2013/英=米)現場の体感に飲み込まれ統計の抽象に耐えられなくなったアマチュアリズムにハゲとヒゲのオッサンたちが滅私奉公というタームで目を潤ませながら気合を入れる。きっかけは個人の印象にすぎないから全貌には特筆すべき内容を見出せないが、 [review][投票]
★4あるいは裏切りという名の犬(2004/仏)叙述的な警察映画だと誤解させてくるから、公務員のラテン的遵法感覚についていけなくなる。ヒゲ面のオッサンたちは眉間を起伏させながら、ひたすら飲酒・喫煙・脱衣・銃撃に勤しみ、肉体主義で質感と劇伴の安さを圧しようと忙殺される。 [review][投票(1)]
★4サザン・コンフォート(1981/米)精薄の人々に気をやる博愛が被マンハントのつらみを自然による優生学の中に霧散してしまう。音響意匠は優生学に呼応して自然の喧騒を抽出せずにはおかないが、人の選別が終わるとこの意匠はケイジャン村の祝祭にのめり込んでしまう。 [review][投票]
★3マトリックス レザレクションズ(2021/米)人妻の不倫願望ともいうべきうっすらとした性欲が、脈略のない各種欲望の陳列をリキ・タケウチ的に消化し、五里霧中の筋のフォグライトとなる。武断ギークという撞着語法がレディコミ的感性によって労われている。[投票]
★3ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(2001/米)文明の受容にせよセクシャリティにせよ政治性の薄い去勢が虚無を持て余し、失われた肉片の追憶に思想の在処を探索する。倒錯した因果関係の外観は内臓が裏返ったような色彩感覚である。 [review][投票]
★4ジェロニモ(1993/米)昼間の追跡で人の性能を展示し、夕べになれば焚火の前でオッサンが新人に演説を振るう。ジミー大西は素直だからオッサンの雄弁は留まるところを知らない。山場はいずれもオッサンの内紛である。 [review][投票(2)]
★4そして僕は途方に暮れる(2022/日)寄生術が野村周平の天然に報復されるようなフラストレーションの仕込みと解消のサイクルがどこかで乱調している。リウマチの圧は戯画的な顛末で中和される。しかしそれを中和しては話が終わるから、 原田美枝子の性格は軌道修正してしまう。 [review][投票(1)]
★3紀子の食卓(2005/日)人を動かすのは観念にすぎないから延々と説明が尽くされるだけだが、人の能力は目に見えるために事態を転がしていく。瑕疵がなくとも家庭そのものを許容できない女権称揚が空論を押し通してしまう。 [review][投票]
★4マスカレード・ホテル(2018/日)事実上のオムニバスに脈略を与えようとして劇伴が出来事を盛る。ロビーに入った客にオーバーアクトさせ、ホテルの格の指標とする。美術と演出がホテルの質感を保証できないのであり、バックオフィスに戻らないと画面が落ち着かない。 [review][投票(1)]
★3毎日が夏休み(1994/日)自閉スペクトラムを根性で矯正できるわけがないから因果がおかしくなる。火事場に義父を向かわせたのは拘りなのだが、その現場で矯正が勃発する。しかし向かえた時点で矯正の必要がない。主軸は矯正ではなく意図せざる善にあり、 [review][投票(1)]
★4西鶴一代女(1952/日)冒頭から三船の野趣に腰を砕くように、男運の圧によって自在に変形する絹代の粘体感は順応力であり、薄幸の幾何学の型である。不幸の多面体に対応するうちに美術は意匠を失い、ネオレアリズモのような無国籍の郊外となる。 [review][投票(1)]
★4幕末太陽傳(1957/日)個人の事情としては、その性能はここに置いておくべきものではない。局地的なこの遁走願望は階級脱出の体裁をとりながら、マルサスの限界に達した近世社会の窮状を概観する。 [review][投票(1)]
★3ホットギミック ガールミーツボーイ(2019/日)普通の妖婦物ではない。天然性の媚びを放散する棒読みは苛立ちではなく逞しさであり、昼メロ事案が襲ってもスリラーの居場所がない。男の口説きに焦らしとムラっ気で対応する媚びの実践は、男の焦燥が伝わってくるほど堂に入る。 [review][投票]
★4ハンターキラー 潜航せよ(2018/英=中国=米)人を意地の発動へ追い込む段取りがある。主人が寄せてくる情が義理の負債を負わせる。何としても信用に応えたい切迫は同業の連帯感と混線しながら仮想敵に感化を及ぼす。それぞれの現場で培われる義理の網の目は合成され権力の正統性に力の裏付けを与える。 [review][投票(1)]
★3ウォーターボーイズ(2001/日)観念的には青春の消化不良によって状況に追い込まれていく。チケットと‟合宿”という先約された物理的要件は観念を下支えするにとどまらず、手段と目的が逆転するほど段取りにのめり込む。追い込まれる状況の定義に誤誘導があり、 [review][投票(1)]
★3モリコーネ 映画が恋した音楽家(2021/伊)ひとつの台詞を消化するのに3名の話者と6つのカットを費やす早漏編集の有様である。素材の量に気圧された操状態が、多様な形をしたオッサンの頭部を譜面のように流していき、モリコーネの薄いキャラクターがその洪水に埋没する。 [review][投票]
★4君たちはどう生きるか(2023/日)同じ話をやるにしても、シアマの『秘密の森の、その向こう』が母の不穏に筋を運ばせるのに対して、こちらはわからなさが性欲の契機となる。少女の昂ぶりがわからない。好意の理屈のなさから作者の性癖が演繹されると筋はボンヤリとした官能に運ばれてしまう。 [review][投票]
★3ある男(2021/日)安藤サクラと比較すれば窪田正孝の負い目は薄くなる。自分の決断が招いた災厄だから安藤の自責には根拠がある。窪田の境遇に自身の責任はなく、しかも不利益は内面にとどまり社会化が乏しい。負い目の社会化は妻夫木聡を通して代理的に発現するに過ぎない [review][投票(1)]
★4ザ・バンク 堕ちた巨像(2009/米=独=英)全編に渡り放心するナオミ・ワッツの顔は、当人の感情を遮蔽するにとどまらず、オッサンたちが眉間に皺寄せ量産する人生の苦衷を真空ポンプのごとく吸い尽くす。が、彼女が退出して感情の遠心作用が消失すると、解放された男たちは取調室で哲学談義を始める [review][投票]
★3ベネデッタ(2021/仏=オランダ=ベルギー)天然の信憑性を問う方策が格調につながらない。演出家の形而下的興味は時代劇を軽くして、格調をもたらすべき意図の曖昧さは、狂信と性欲が互換する性急さを悪目立ちさせる。 [review][投票]