ジェリーさんのコメント: 更新順
ミスター・グッドバーを探して(1977/米) | あらゆる行く先に通行止めとその抜け道が同時に作られてしまうこの不定形な時代に今生きて、生き延びるパターンすらうまく描きえなくなっている我々から見ると、昼と夜の顔を使い分けるというキャラ設定で女主人公を一人作れる時代があったということが実に懐かしい。 | [投票(1)] | |
ゴースト ニューヨークの幻(1990/米) | 「幽霊」という言葉は世阿弥の造語という話をどこかで聞いた。東洋・西洋や芸能のジャンルに関係なく、幽霊と芸能の関係の根っこは実は深い。そうした背景を思うとき、この幽霊は1990年という時代の、映画というジャンルにふさわしい幽霊らしさを感じる。幽霊のアイデアにまた一つ創見が加わった感じ。 | [投票] | |
極楽特急(1932/米) | ガストンがコレ夫人宅の階段を駆け上がり駆け下りるシーン、時計の表示板の進行に台詞だけがかぶさるシーン、無駄なカット何一つなく、切り詰められた省略の美しさのきわみ。なおかつ洒脱。邸宅のデザインの斬新さも素晴らしく、美術品のように賞玩したい作品。 | [投票(2)] | |
五線譜のラブレター De-Lovely(2004/米) | せいぜい書けるのはアシュレイ・ジャッドの好演だけで、あとはコール・ポーターの名曲順に脚本を辻褄あわせした凡作という評価しかできない。一見良心的作品づらしているだけに始末におえない。音楽映画ははずすと失望が大きいことをまたしても実感。 | [投票(1)] | |
隠し剣 鬼の爪(2004/日) | 頼りがいがあり、やさしく、筋の通った強い理想的人間を永瀬正敏 と松たか子が好演。そして彼らを思い存分に動かせるしっかりとしたリアルな背景描写。いや、これを背景として押しやっておいていいかどうかすら迷う克明な生活描写。完成度は文句なしだろう。 緒形拳の演技には戦慄するのみ。 | [投票(2)] | |
仕組まれた罠(1954/米) | 寝そべる女、グロリア・グレアム。女の怠惰・弱さ・狡猾さを余すところなく表現できる稀有の女優。この道一筋の一本気な機関士役を演じるグレン・フォードとよい対照。走る汽車を運転席から撮ったファーストシーンは、道から外れていく男と女のドラマの冒頭として素晴らしい効果。 | [投票] | |
いま、会いにゆきます(2004/日) | 映画が終わって、館内が明るくなる。10代から20代前半の女の子を中心にした観客の中に、中年男はどうやら私一人。しかし、彼女たちと同様に、すこぶる上質の感動に涙を流せたことをうれしく思う。少し面映さを感じつつ。 [review] | [投票(6)] | |
ハウルの動く城(2004/日) | 旧作よりも物語としての登場人物造形の綾が濃くなったのは確か。しかし、アニメーションの登場人物として魅力的かといえば、そうでもない。また、爆発的なクライマックスのコーダを期待した者としては肩透かしを食った。端的に言うと老化と弛緩。 | [投票(1)] | |
カバーガール(1944/米) | ジーン・ケリーの多重露光による影のダンス・シーンもリタ・ヘイワースの歌う「かわいそうなジョン」も見ものなのだが、どんなミュージカルでもそれなりにストーリーテリングの水準は保って欲しいもの。これじゃ、『マイ・フェア・レディ』並みだ。 [review] | [投票] | |
ハスラー(1961/米) | 人はモチベーションとプライドと能力との微妙な均衡の上に爪先立ちで立っている生き物。見事にそのことを活写したからこの映画は切ない。ポール・ニューマン とパイパー・ローリーが路地裏のオルフェとユリディスを演じて完璧。 | [投票(1)] | |
復讐は俺に任せろ(1953/米) | ストーリー上、次に何がおこるか分からないという意味では、極北に位置する映画。この映画を見ていると、痛覚を矢継ぎ早に刺激され息苦しくなってくる。それこそ、フリッツ・ラングの狙い。リー・マーヴィンが強烈だが、グロリア・グレアムという名花のラストシーンの演技に一歩負ける。 | [投票] | |
スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー(2004/米=英=伊) | ロシア・アヴァンギャルド風の映像コンセプトの中に主役3人がはまる、はまる。どこかで見たことがあるようなストーリーテリングだが、何の傷にもならずにとても粋なエンディングまでぐいぐいとドライブしてくれる。 | [投票(2)] | |
鏡獅子(1935/日) | 松竹は映画興行も芝居興行も両方持っていたわりには、歌舞伎舞台の撮影が少なく、尾上菊五郎のこの作品などはほんとうに貴重なもの。歌舞伎名優は映画にでないというような矜持もあったのだろうな。 | [投票] | |
担え銃(1918/米) | 塹壕のでてくる戦争映画の嚆矢か。喜劇でも悲劇でも戦争映画は空間表現がたいへんポイントになると思うが、この映画は塹壕という空間をうまくギャグとして面白く使って見せてくれた。 | [投票(3)] | |
東京の宿(1935/日) | 前半部はだだっ広い野原で、坂本武 と突貫小僧が「ゴドーを待ちながら」さながらの「何かを待つ人間」を演じる。強烈に映画的で、岡田嘉子が登場してドラマが回りだす後半部よりもずっと好きだ。 | [投票(1)] | |
突貫小僧(1929/日) | 初期の小津作品には欠かせない俳優のトリオ作品。大きな欠落はあるが、典型的な筋なので、どういう作品だったかはなんとなく想像できる。ここまで典型的だとふくらみにもかけただろう。 | [投票] | |
和製喧嘩友達(1929/日) | 八つぁん、熊さんの登場する落語を映画に移してきたような筋立て。欠落が多くて全貌の評価はとても出来ないが、車のシーンの軽快感は小津後期作品にはあまりないので珍しい感じがした。 | [投票] | |
リオ・ロボ(1970/米) | 『リオ・ブラボー』や『赤い河』のような傑作を持つハワード・ホークス&ジョン・ウェイン作品にしては「?」な出来栄え。緊張感に欠けるし、ジョン・ウェインとジャック・イーラムを除くと、西部劇向きの役者が一人もいないのに愕然とする。西部劇を撮るのが本当に難しくなったのだ、1970年代は。 | [投票] | |
大番 完結篇(1958/日) | 団令子がいつもながらの役柄を演じながらも、ぽってりした美しさではなくすっきりと美しく新発見。原節子は神妙に絵に描いたようなマドンナ役を演じているが何も新味なし。このシリーズ最大のはずれは仲代達矢で、まるで実体感がない。 | [投票] | |
恋愛日記(1977/仏) | 祭りの前。祭りの最中。祭りの後。すべてが正確に、かつ誠実に描かれている。画面に誇張はあるが、主人公の男の心情にはあまり誇張はないのではないか。そう思ったほうが、この主人公のおかしさが倍加して楽しめます。何度でも見たい。 | [投票] |