disjunctiveさんのコメント: 点数順
街のあかり(2006/フィンランド=独=仏) | 光彩の優しい重さに付託された選択と行動の淘汰圧から、意図と計画の整合性がひょっこりと浮上したとき、自嘲の諧謔は北国のド演歌に乗って昇華する。 [review] | [投票] | |
パラサイト 半地下の家族(2019/韓国) | 事が進むという充足をもたらしつづけるガンホ一家の有能さが社会時評を無効にしている。あまりにも有能であるから、彼らの窮乏は一時的なミスマッチであって、遠からず旧態に復すると思わせる。事実、劇中ではそうなってしまう。 [review] | [投票(5)] | |
カメラを止めるな!(2017/日) | 演出家が演技をすることで本音を出せて役者に報復しえたように、事象のトレスで人格の本質が顕れ、かえって自由になれてしまう。反復であり答え合わせである記述という営みが何ゆえ美的経験をもたらすのか。 [review] | [投票(5)] | |
アウトレイジ 最終章(2017/日) | マレビトであることがハニカミになればピエール瀧の造形となり、選ばれたことの後ろめたさとなれば老人たちの若い衆への配慮となり、引いては自殺願望になる。そのお馴染みの願望は肉体の老化が精神に追いつくことでもはや自然死のような様相を呈している。 [review] | [投票(5)] | |
ストーカー(1979/露) | 古戦場で右往左往しつつ草むらで昼寝して水辺で戯れる薄毛オッサン三人組の姿態を観察するアイドル映画である。 [review] | [投票(5)] | |
ゴーストライター(2011/仏=独=英) | 庭師のおやじさんの帽子を嗅がずにはいられない陰性の好奇心と当然の応報を喰らって軋む顔面。オリビアの挑発に乗せられ露呈する臀部。出版記念パーティーで放たれる何も考えていないドヤ顔。ユアン・マクレガー、文系暗黒映画の最前線を逝く...またしても。 | [投票(5)] | |
ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(2019/米) | メリルからローラ・ダン、 シアーシャ・ローナンへと世代を経るごとに伸展する馬面。爆縮レンズのように、馬面に四方から圧されたローレンス・ピューの丸顔はその球形を際立たせ、馬面一家の不穏を引き受ける。 [review] | [投票(4)] | |
最も危険な遊戯(1978/日) | 声だけ聴いてれば原田芳雄パロで済ませられる。ガタイが異なるから原田を肉体の内に同定できない腹話術のような実存の不安が生じる。それはトランスジェンダーのような中性的な口振りであったり、歩くだけで曲芸になってしまう重心高い体のブレであったり。 [review] | [投票(4)] | |
ミッドサマー(2019/米=スウェーデン) | 第一の難関、アジの開きでゆるふわなゴアという芸術が達成されている以上、あとは行動を通じた事態の再演と点検に過ぎないから、そういう曖昧な時の経過に身をゆだねるフローレンス・ピューの幼児体型のフワフワには抗しがたい蠱惑と嗜虐を誘われるものの、 [review] | [投票(4)] | |
悪人(2010/日) | たとえば、ママチャリのリングロックの開錠音が奏する貧困の轟きのような、深津絵里の薄幸を図像化する試みが成功しているだけに、満島ひかりという女難の襲来に脅かされるロードムービーが辛抱堪らなくなるのである。しかし、本当の女難は満島ではないのだ。 [review] | [投票(4)] | |
運び屋(2018/米) | プロローグが12年前設定で演じ手が米寿の老人であるから、ここから12年飛んで本編に入ると、この老人は何者なんだとならざるを得ない。あとはもう死人の夢で、その内容はヤクザ社会の方々で歓待されてしまう『哭きの竜』のような稀人ヤクザ物である。 [review] | [投票(4)] | |
哀しき獣(2010/韓国) | むちゃくちゃである。キム・ユンソクの戦闘力はともかくタクシー運転手ハ・ジョンウのそれは意味が分からない。ジョンウが内偵の過程を通じて見せる甲斐性もキャラ立ちを不明瞭にする。こんなに仕事が出来てなぜタクシーを転がすのか。 [review] | [投票(4)] | |
駅 STATION(1981/日) | 大晦日に場末の飲み屋で高倉健と倍賞千恵子が黄昏る苦悶を味わいたく、20年ぶりに再見したのだった。しかし黄昏るには不穏すぎる。東宝製70年代刑事ドラマに民子物をぶち込んだ暴力的な構成で、とらやにミサイルが直撃したかのような触感なのだ。 [review] | [投票(4)] | |
アシュラ(2016/韓国) | ビッグブラザー並に知らないことはない検察側がキャラのプライバシーを許容しないために、修羅場に直面した人間の機知ではなく、むしろ覚悟と開き直りを観察する、対比列伝のような根性論が志向されている。 [review] | [投票(4)] | |
沈黙 -サイレンス-(2016/米) | 棄教とリンクする必要から曲芸的とならざるを得ない人々の死に様が、サムライコマンダー菅田俊の東映特撮ヴォイスから浅野忠信の安定のサイコパス顔に至るカオスも手伝って、国籍不明のアトラクションになっている。 [review] | [投票(4)] | |
地獄でなぜ悪い(2013/日) | 現代邦画らしい、受け手のリテラシーをまるで信用しない回想説明の冗長さは、いつかしか、本来の目的とは逆行して、現実とマンガの境界を曖昧にする。つまり、これは、人が死ぬことができる世界なのか? 死の信憑性の薄さは、フィクションの非実用性を含意する。 [review] | [投票(4)] | |
ミッション:8ミニッツ(2011/米) | ループを能動的に使っても問題は残る。トライ&エラーが人生の希少性を損ないかねないし、アクティビティが情報開示の過程を恣意的に見せてしまうかもしれない。つまり永遠そのものの圧迫が形を変えて現れる。 [review] | [投票(4)] | |
それでも恋するバルセロナ(2008/スペイン=米) | 忽然とするヨハンソンの顔芸に天然キャラへの嘲笑が含意されるかと思えば、やがて天然であるからこそ果たせる役割が見出される。こうした配慮がイヤミにならず、類型で受けを狙った個々の造形は生きた人間として語り直される。えらいものだと思う。 | [投票(4)] | |
害虫(2002/日) | おお、あおい。俺のあおい。宇宙でもっとも希少でねたましい生命体あおい。 | [投票(4)] | |
トキワ荘の青春(1996/日) | 独身男の几帳面な生活が四畳半を兵舎化して、キューブリック美術のように廊下が独房のシンメトリーとなる。 [review] | [投票(3)] |