[コメント] ラリー・フリント(1996/米)
例によってミロシュ・フォアマン節満開であります(笑)。
監督はフェミニストからの批判に対して「フリントもポルノも美化してはいない」と投書して反論したとか(*1)。確かに。つまり、「そういうふうに反論できるように作ったんでしょ?」と言いたくなるほどの、美しい愛情のお話であり、気高い反骨魂が描かれているのであります。『アマデウス』も「下品さ」がトーンダウンしていた点で似ています。ヴォルフガング・アマデウスが下品で低俗な人物だった、というのは一部で有名な話なんですが、残念ながらミロシュ・フォアマンは「下品」への憧れはあっても、根がお上品な人ですから「下品」の映像化ができない、という致命的な欠陥がこの作品にも表われています。どこまでも反権力・反体制を指向するチェコスロバキア出身のフォアマンの図式的展開、というのは酷な評価かもしれませんが、フォアマン自身にハードコア・ポルノ雑誌『ハスラー』を愛読する嗜好がない、というのは明白ですね。
それでも、痛快な思いで観ました、フリントの徹底した「お下品路線」の法廷戦術。「こんな仕事もういやだっ!」と弁護士アラン(エドワード・ノートン)は思ったことでしょう。そのアランもフォアマン同様に「お上品」なのでフリントの振る舞いや生き方に同調できないけれど、憲法修正一条が保障する言論の自由の権利を擁護する「たてまえ」を捨て去ることはできません。さよう、フリントはそんなアランの弱みを承知の上で、自由奔放な法廷戦術を展開するのであります。法廷でヘルメットを被ったり、星条旗のおむつで登場したり。
でも、同じ痛快ということであれば、むしろテレビ伝道師ジェリー・フォルウェル(Jerry Falwell(*2))をからかった『ハスラー』の卑猥なパロディー広告「フォルウェル初体験を語る」をめぐる損害賠償をもっと掘り下げた方がよかったんじゃない? と思うな。こちらも連邦最高裁まで争った事件だし、フォルウェルは札付きのキリスト教原理主義者ですからね。でもフォアマンはそうはしなかった。「人民対フリント」(原題直訳)という図式にこだわるんです。「人民」と言うと聞こえはいいけれど、その実、国家権力なんですね。
国家権力とたたかうという図式ならば、フォアマンには言いたいことが山ほどある……わけ。このフォアマンのテーマ設定に製作のオリバー・ストーンも、「よし、気に入った。そいつは話題になる」と喜んでOKを出したんでしょう。
かくして、対権力闘争を軸に、愛情ものがたりをまぶして出来上がったこの作品。実は重大な欠陥があります。
それは『ハスラー』の過激さは「性器のアップ」を載せたところにある、という重大な誤解を与えたところにあります。「アメリカで初めて女性の性器を写した雑誌」であることは事実ですが、問題はそんなところにあるのではない。実際、ポルノ規制派のフェミニストもそんなことは問題にしていません。
ポルノ規制派フェミニスト(キャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンのような人たち)が攻撃する、『ハスラー』の問題点は、以下のようなものです。
・肉挽き器で女性が挽かれているイラスト
・ドリルを女性性器に挿入したイラストにつけられた「不感症の治療」というキャプション
・ビリヤード台での集団レイプで女性が性的快感を感じている様子を描く写真と文章
・男が女をゴミバケツにたたき込み、女の裸のお尻がその容器から突き出しているイラスト
・父親が娘の耳に舌を入れ、夫がパンティの中に手を入れ、女性がそれに快感を味わっているように描かれたイラスト
・上司が秘書とセックスをしながら同僚にも彼女とセックスするよう誘うマンガにつけられた「クリスマスのボーナス」というキャプション
・殺され、首を切断され、手足も切断された女性の胴体に、切除された乳首とクリトリスの写真。
これ、ちょっとひどいと思いませんか? こういうの擁護するの? と言いたくなりますよね。これが『ハスラー』に対するポルノ反対派の争点でした。
こういったポルノのあり方に対して例えば日本の角田由紀子弁護士は次のように言ってます。
「そもそも、表現の自由は、民主主義社会の達成のための手段として主張され、認められてきたのではないか。個人が国家から弾圧されることなく、自由に意見を言えることが保証されることが、必須という考え方だ。しかし、表現の自由それ自体が目的ではなく、手段であったことは忘れてはならない。いま、表現の自由によって保障されたポルノは、明らかに女性が民主主義社会の対等な一員となることを妨げているのに、表現の自由を持ち出して、女性をさらに二流の市民にすることを合理化することは、背理ではないのか。民主主義社会は、すべての構成員に平等な権利を保障するものであるべきである」(角田由紀子著『性差別と暴力』有斐閣選書より)
そういう事情をミロシュ・フォアマン、オリバー・ストーンのご両人が承知していたのは間違いありません。キャサリン・マッキノンがポルノ規制条例をインディアナポリスで提案したのは、1984年のことでした。それ以来ずっと論争は続いているんです。むしろそれを知っていて、敢えて争点を避け、アンチ・ポルノ派フェミニストを挑発して論争を呼び、映画の宣伝にしたフシすら窺えます。だとしたらフォアマン、あんたは表現者ではなく商売人だぞ。オリバー・ストーンもだ。冒頭に挙げた(*1)のような反論は、まったく反論になっていない。
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映画を観終わった直後は痛快・爽快で「よくやったフリント!」な〜んて思っちゃって大満足。コートニー・ラブの熱演もたっぷり堪能しました。だから満点の5点を差し上げてもよさそうですが、上記のような事情を考え併せると、減点1は仕方がないですね。
念のため言っておきますが、わたしはキャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンの立場には反対します。国家による全ての検閲には絶対反対ですが、フォアマンのこの映画の作り方は、ちょっとフェアではないと思っただけです。【追記】ミロシュ・フォアマン監督は、ハードコア・ポルノ雑誌『ハスラー』の低俗さ、下品さ、セクシストぶりなど、問題とされる点ぜ〜んぶ抜きで作ってしまいました。これではフリントの人物像は高潔な自由の闘士に見える。「きれいごと過ぎる」と抗議の声が上がるのもうなずけますよね。「フォルウェル初体験を語る」を挙げたのも、これを描くには、裁判過程で多少なりともハスラーの下品さ、俗悪ぶりなどの問題点に言及せざるをえなくなるだろう、と思ったからなんです。
*2)ジェリー・フォルウェル(Jerry Falwell): 右派テレビ伝道師。米国では、知らない人はいないぐらいの有名人。9.11同時多発テロ事件においても、9月13日にさっそく自分の持つ全米向けラジオで「(今回のテロは)アメリカの脱キリスト教化を狙っている中絶賛成派、フェミニスト、そしてゲイとレズビアン連中のせいで起きたことだ」と説教して猛烈な反発を受け、全面的に謝罪撤回。こちらがフォルウェルのサイト→http://www.falwell.com
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【参考文献】
米国におけるポルノグラフィー論争 (Google Directory)→http://directory.google.com/Top/Society/Sexuality/Politics_of_Sexuality/Pornography/
ちなみに、キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンを略称して、マクドウォーキン(MacDworkin)と呼んだり、アンチ・ポルノ派フェミニズムのことをマクドウォーキニズム(MacDworkinism)と呼んだりしています。
これに反対する立場は検閲反対派で、フェミニスト論客には『バウンド』(アンディ・ウォシャウスキー&ラリー・ウォシャウスキー)でテクニカル・アドヴァイザを担当し、同時に出演もしているスージー・ブライト(Susie Bright)など。わたしはこちらを支持しています。
スージー・ブライトの公式サイト("My Movies"をクリックすると…)→http://www.susiebright.com/
さらにリンク追加。
"Is Feminism In Bed With Larry Flynt?"→http://www.spintechmag.com/9901/sh0199.htm
"NOW NEW YORK CITY v. LARRY FLYNT"→http://www.now.org/nnt/03-97/act2.html
"THE PEOPLE VS. LARRY FLYNT"(ラリー・フリント、娘を虐待)→http://www.nownyc.org/news/mayjune97news.htm#FLYNT
"HUSTLED" by Tonya Flynt-Vega (娘の告発 -「映画はウソばかり」)→http://www.libraryreference.org/hustled.html
"Demonstration to Protest Sony Pictures" (抗議デモ-サンフランシスコ日本人街・歌舞伎劇場)→http://twhj.com/122396.htm
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