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[コメント] 続・悪名(1961/日)

庶民の猥雑さや陽気さは前作から継承しているのだが、どうも話が陰惨に落ちていく。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 手許の資料で見ると、前作から2ヵ月半あまりで公開されているこの2作目。スタッフも一緒だろうが、主要な登場人物(役者陣も)は皆同じ、舞台の遷移まで前作をほぼなぞるこの2作目は、前作が持っていた庶民の猥雑なエネルギーや底抜けの陽気さをもそのまんま再現した感じがある。

 ところが、主演二人だけが、微妙に変化していて、それが物語に決定的な印象差を与えている。勝新は、前作では血気盛んな青年ぽさを存分に発揮していたのだが、今作ではなぜか分別臭く、もっと言うと爺臭い。中村玉緒は、前作での一点の曇りもない初々しさに陰りが生じ、はっきり言えば今の婆臭さに通じる初候が見て取れる。わずか3ヶ月弱後とは思えないほどだ。そのせいかどうか、話も後半に進むにつれてどんどん辛気臭くなる。挙句の果てには、”モートル貞”田宮二郎の暗殺である。

 昔のヤクザ映画には、ヤクザ道の卑下という”自己否定の美学”がつきものだが、ヤクザ界の秩序に挑戦状を突きつけた形の前作では、朝吉・勝新も耳の穴かっぽじりながら「わて、ヤクザは嫌いだんねん」と言ってりゃよかった。だが、男の面子からヤクザになることを引き受けてしまう今作は、ずーっと言い訳ばっかりしているように聞こえるのだ。後にもシリーズが続いたことを知る現代人から見ると、男の面子を重視するなら、今作ではヤクザ道の否定はお休みでもよかったかな、という気がする。だが、明日を知らずに作っていた当時の人たちからすれば、やっぱこの作品にもそれを入れておかなきゃ気がすまなかったのかもしれない。

 ラストでは、兵隊となった朝吉が、日中戦争(支那事変)の最前線に送り込まれる。戦争を国と国との出入りと見立てた朝吉が「でっけえ出入りだ・・・」と感慨する。そりゃ確かに、近代戦争にヒーローの活躍する場はないかもしれん。しかし、ヤクザ映画にこんなこと言われるとは・・・

 併映の『兵隊やくざ』をこの後見たのだが、ここではなんと、ヤクザ・勝新が戦場に到着するところから物語が始まるのだ。倉敷東映の番組構成は実にシュールだったと言える・・・

75/100(04/08/02記)

(評価:★3)

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