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[コメント] シティ・オブ・ゴッド(2002/ブラジル=仏=米)

この町は今ようやく戦国時代中期を迎えたわけであるな。400年もすれば平成がやってくるべぇ。
ピロちゃんきゅ〜

映画的には面白かったんで4点でもいいんだけどね、その狙った衝撃さというか、そこらへんのパワーがイマイチのれなかったんで3点。『用心棒』ぐらいの喧嘩なら同じ殺し合いでも笑って見てられるんだけどな。やっぱピストルからマシンガンまで来ちゃうと、こう、味がないというか風情がないというか愛嬌がないというか。最後にブラジルの大統領が唐突に出てきて、ポチッとボタンを押して街の上空からキノコ雲があがるぐらいのドタバタエンディングを期待してしまったほどだ。こんな救いのない街は燃やしてしまえってね。そんなので手を叩いて喜ぶのはデビット・フィンチャーとオレぐらいかもしれないけどさ。

しかし、この救いのない「神の町」を世界に紹介して、結果、監督は何を期待したんだろう。町の救済?違うよね。ただ、題材として「世界にショックを与えれる映像」を出したかっただけじゃないのか?と。そこらへんの意図がちょっとオレに響かなかっただけの話だ。リトル・ゼの孤独感とか愛とか仲間とかそんなのどうでもいいよ。

「殺し合いしたい連中は殺し合いさせるべきである」 この理論はあまりに支持されないことで自分の中では整理が付いている。言い換えれば「自然淘汰」に近い。今も世界のあちこちで内戦もあれば民族紛争もあれば軍事介入もあるわけだ。この小さい戦争もそれと一緒。いわば内戦なわけですな。殺し合い生き残る事で、自分の価値を高め、存在を誇示する文化にあるわけだから、殺しあって当然だと思うのだ。「日本なら考えられない」なんて、それも当然な話(ただし、現在の話)。日本だと、こんな殺し合いをしてたら自分の価値を下げ、存在が否定されて死刑執行まで牢屋でじっとしてるしかない文化だからだ。こーゆー町に生まれ育った人間は、そこの土地に縛られて生きる運命を辿るが、それは避けられない運命であって、なにも人間の不平等さに関連する話ではない。命の価値は同等だとは思うが、人生は平等ではない。人それぞれの運命にはかなりの差がある。

という、価値観の元、この映画がオレに与えるショッキングさってのは皆無になってしまうわけです。だって、あの街ではあーやって生きるのが普通なわけですよ。オレの予想では、リトル・ゼなんて、生れたのが群馬県桐生市あたりだったら、今ごろ元ヤンキーの暴走族上がりでいいおっちゃんになってるって辺りだな。35歳でおじいちゃんて所だろう。生まれたところが違った。ただそれだけの話。

(評価:★3)

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