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[コメント] 回転(1961/英)

芒生い茂る湿地に佇む女の幽霊の画は強烈そのもの。イギリス庭園にはああいうのが毎日出るのだろう。主題歌「O Willow Waly」はケイト・ブッシュに影響を与えたらしい。全編ゴシック趣味の暴走。(レビューは原作にも言及)
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作は、家庭教師の手紙の内容は事実なのか書き手の幻覚なのか判らない、という点を極限まで引き伸ばした、心理小説の大傑作。本作の映画化は即ち、小説と映画の話法の差異をどう捉えるかという試みになる。結果は優れたもので、幽霊がいたかいないか、どちらとも取れる微妙さが最後まで貫かれた。仕掛けは原作通りで、亡霊を「自覚的に」見るのは教師デボラ・カーに限られており、子供たちは見ているのか見ていないのか不明なのだ。

映画で特に微妙なのは教師が教壇に死んだ前任の女教師を見る件。映像では二人は何の会話も交わさないのに、直後の家政婦への説明では教師は話したと云う。ここで観客は、あれ、この教師おかしいのじゃないか、子供たちはすると何でもないんじゃないのかと気付くことになるだろう。

優れたテクニックだが、この仄めかしがこれで良かったかどうかもまた微妙だ。これがなければ、事実か幻覚かの謎はフィフティ・フィフティで進んだろうに、幻覚説が有利になってしまっている。しかし一方、これがなければ観客は全部事実と取ってしまうかもしれず、心理映画の面白さが伝わらないことになる。

ラスト、死んだ男の子に接吻するのも微妙だ。一連の幻覚は、オールドミスの性的な倒錯に起因するものだったのではないかという説明が成立するのだが、断定はできないのだった。

映画は優れたゴシック趣味に溢れており、幽霊は男はフランケンシュタイン、女はノスフェラトゥーの影響というか引用が感じられる。男は傍に、女は遠くに現れる。夜の廊下の蝋燭のバカテクなライティング(ヒッチコックが想起させられる)も、時に大仰な音楽もいい。子役は巧く、特に大人と子供を行き来するパメラ・フランクリンの巧さは異常を感じるほど。主題歌「O Willow Waly」のゴシックな美しさも素晴らしい(Wikiに「Willow Weep for Me」とある(by川本三郎)のは情けない間違い)。

ただ、読み手の知性を刺戟する小説の素晴らしさが再現できたとは云えないと思う。原作が凄すぎるのだ。原作未読なら満点にしたかも知れず、角川映画のジレンマですね、未読ならどう観たかは既読者には判らない。

(評価:★4)

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