[コメント] 奴らを高く吊るせ!(1968/米)
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マカロニウエスタンの傑作『荒野の用心棒』(1964)、『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(1966)により本国での知名度が一気に上がったイーストウッドのアメリカでの初主演作で、主演となるイーストウッドは製作会社マルパソまで立ち上げている。
元々アメリカのテレビシリーズ「ローンレンジャー」でキャリアを積んだだけに、イーストウッドとしても本作にはかなり期するものがあったのだろう。
特に、主人公の造形には並々ならぬこだわりを感じさせる。これまでマカロニで培ったイーストウッドのイメージは、寡黙で何を考えているのか今ひとつ分かりにくいが、奥の深い人物であるという部分。最初はそう言う役だから演じていたかも知れないが、それがいつの間にか自分自身のキャラクタにまで昇華させられたのだろう。
その寡黙さを継続させながら、ドラマを展開させるために、人間的な弱さを強調したり、様々な部分で躊躇させたりと様々な方法でキャラを造形しており、同じ寡黙さを持ったキャラであっても、マカロニの描写とは大分異なる造形となっているのが本作の特徴。かなりの意味でそれは上手くいっており、これは明らかにイーストウッドのはまり役。以降の作品でも、中身は違えど基本的に見た目同じようになるイーストウッドキャラのアイコンとなった。
ところで本作の設定はかなり無茶がある。
私刑を禁止する法律が出来て、それで私刑を行った人間は罪に科されるというのは分かるんだが、それで殺しまで許可するという極端さは、実際だとかなり無理。結局これって私刑を以て私刑を禁じるって自家中毒起こしてるだけだし。復讐の物語にするんだったら、もうちょっと違ったやり方があった気もするんだよな。しかも国は明らかにジェッドを国家のお墨付きを持った私的処刑人に仕立てようとしてるわけだし、それはかなり無茶苦茶。その分ジェットの立ち位置は何?と言う感覚になってしまい、なんとなくすっきりしない。
ラストでは、「復讐は終わらない」となってるけど、復讐が終わった時は、ジェット自身も又お尋ね者になるのかもしれん。
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