[コメント] クローサー(2002/香港)
映画を見終った人むけのレビューです。
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私は個人的には(特別な場合を除いて)、記念と称して、ビデオに残したり、写真に撮ったりするのは好きじゃない(されるのはもっと好きじゃない)。それがないと忘れてしまう程度の記憶など忘れればいいと思うからだ。このような理由で、ビデオカメラを持ち歩く妹(ヴィッキー・チャオ)にまず不快を感じた。
古い考えかもしれないが、実生活でも、映画でも、メッセージは自筆の手紙で残すのが一番だと思う。情報として不完全であること、すなわち、筆跡や文章から相手の声、感情、表情などを思い浮かべることが、メッセージの醍醐味だと思う。ボイスメッセージや無音のビデオメッセージは、想像する余地があるのでまだいい。また、ごく限られた時間で伝えなくてはならないビデオメッセージもありだと思う。しかし、情報量が多く相手を想像することの必要をほとんどゼロとしたビデオメッセージなど、第3者が見るためのもので、親しい間柄では味気ない。
このような理由で、姉(スー・チー)が殺されたところで、死んだ姉を撮影したデジタルビデオカメラを父母の墓に埋める妹。これは「ひどい」演出だと思った。
ところが、土砂降りでぬかるんだ地中から姉の声が・・・。なんと、姉のビデオメッセージが残されていたのだ!
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雨の中でビデオカメラを手にする妹。当然、見られるものとして残されたビデオメッセージを彼女は埋めてしまうところだった。雨でデジタルメモリーがパーになってしまう可能性もある。日ごろ、ビデオカメラを愛用し、世界中の映像をモニタしている彼女が、最も肝心な映像、姉の最後のメッセージ、を確認できなかったかもしれないのだ。
結局、(娯楽映画としてその部分を「無」にするわけにいかなかったのでしょうが、)すんでのところで、なんら損うことなく姉のメッセージを確認できるわけですが、これは素直に「うまい」演出だと思った。当初、ビデオカメラを持ち歩く妹に感じた不快も(全部がこの伏線と受け取ることで)なくなった。
セキュリティシステム、監視システム、情報の造り替えなど、「情報」を題材にした数多のアクション映画のなかで、本作の良さは、ヒロインが女性3人であることを認めつつも、当たり前の情報が欠損することの大きさを描いたこのワンシーンの役割は見逃せない。
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