[コメント] 零戦燃ゆ(1984/日)
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冒頭、零戦の初戦の出発までの描写が何よりも素晴らしい。静かな暗闇の中で零戦の大点検が行われている。そこにブザーが鳴り響き搭乗員が飛び起きる。零戦もエンジンが起動しプロペラが回りだす。搭乗員が顔を洗い衣服や銃を身に付けていく。零戦に増槽や弾倉が取り付けられ、搭乗員はおにぎりを頬張り盃を飲み干し床に叩きつける。時間の整合が行われ搭乗員たちは零戦に駆け寄る。その内の一人浜田正一(堤大二郎)は整備員(橋爪淳)に声をかけると手や足で零戦の各部に触れると主翼を足場とし操縦席に乗り込む。この時操縦席に入れられたバナナを映すことで搭乗員と整備員の関係を示唆する。電灯を付け計器に目をやり、エルロン、エレベータ、ラダーの動きを確認する。整備員がエナーシャを回した後前方に移動するとプロペラが回りだす。車止めが外され零戦は滑走路へ向けて動き出し、Z旗が上がると一斉に飛び立っていく。飛び立った零戦の脚部は引っ込み天蓋が閉じられ、搭乗員はゴーグルを外す。整備員や上官たちは帽子を振ってこれらを見送る。零戦は朝焼けの空を飛んでいき、まず7.7ミリ機銃を試射、次に20ミリ、最後に同時撃ちをする。そしてバナナを食べる。ここまでの細かい動作を省略せずに、適切な構図で撮影していく。私はこれが「リアル」だから賞賛するのではない。ただ台詞で語らずに人物や機械の動きをひたすら捉えていくこと。それを行えばこんなに魅力的なシーンが出来上がる。オーソン・ウェルズ『イッツ・オール・トゥルー』の筏が出発するシーンのように。
空戦シーンはミニチュアと実写映像の二つを的確な編集や光の加減の統一により自然な画面の繋ぎになるよう設計されており、爆撃シーンにおける爆破のタイミングやそれを収める構図の的確さにも唸らされる。素晴らしいアクション演出がそこかしこに見られる。あの退屈な『二百三高地』『大日本帝国』と同じ監督だとは俄かには信じがたい。素晴らしいのはアクションシーンだけではなく、3人の若者(堤大二郎/橋爪淳/早見優)が川原を自転車で走る場面の幸福感やその後のシーンで早見優が振り向いた際のクローズアップにはこれが映画だと言いたくなるような美しさがある。
人の死が描かれても変に感傷的になったり、大袈裟な演技を見せたりしないのがこの映画の美点ではあるが、終盤堤大二郎が死亡した後に母(南田洋子)が思い出を語り涙を流すあたりは相当にヤバイ。いや、はっきりダメだと言うべきかもしれない。ラストの零戦を燃やすシーンもどう反応すれば良いのかよくわからない。こういう映画はひたすら面白いアクション映画として撮られるべきであり、無闇に泣かせようとするのは良くないことと思うのだが。
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