[コメント] サンダーボルト(1974/米)
これはもう「物語に奉仕すること」から解放された演技(とカメラ)の自由さを謳歌するジェフ・ブリッジズに尽きる。
70年代アメリカ映画の魅力のひとつが「脱ドラマ」だと思う。バディ・ムービーとしてみれば、ヴォイド+ホフマンの『真夜中のカーボーイ』、ハックマン+パチーノの『スケアクロウ』などに近い位置にあるのかもしれないが、その「脱ドラマ性」で一歩先を行くのが本作だと思う。
ここでのブリッジズの演技を観ると、ホフマンやパチーノは「巧すぎる」という気になって来る。その巧さが「ドラマに奉仕する」という観点から設計されているがために、ある種の息苦しさを感じてしまうのだろう。それはドラマトゥルギーの「集中」と「開放」の違いと言ってもいい。
逆説めくが、脚本家からスタートしたマイケル・チミノの監督第1作として、脚本では表現できない部分、監督であればこその演出の部分に力点の置かれた作品ではないかと思う。そうした過渡期の監督との一期一会の出会いが、ブリッジズ演じる「ライトフット」を忘れがたいものにしているのではないか。
では、もう片割れのヴォイド、ハックマンとクリント・イーストウッドとの比較はどうだろう? イーストウッドは、アメリカの風景になり切っていて、それもブリッジズとは逆の意味でこの脱ドラマにふさわしいものだったのかもしれない、かな?
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