[コメント] 美しき冒険旅行(1971/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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都会と砂漠、人工と自然との徹底的な対比と、その残酷さを監督は撮影監督らしく美しい自然をバックに描く。その美しさが美しすぎるほど、その残酷さは美しさと表裏ではなく、全くの同列に存在していうる。それらが同列に存在するが故に残酷であり、残酷であるが故に美しい。ここで行われる「対比」は「対比」ではなく、現実なのだ。自然の延長線上に人工が存在し、人工の延長線上に自然が存在する。
そして、ここに存在する「美しき冒険旅行」は、やがて忘却の彼方へと葬られ、何事も無かったかのように想い出の中に存在し続ける。故にその「冒険旅行」は美しく輝き続ける。リアルタイムの現実がどれだけ醜かろうと、どれだけ美しかろうと、後の生活を現在地として振り返ってみれば、何もかもが「美しい冒険旅行」となってしまう。
ニコラス・ローグが、俺と同じ事を考えて撮ったかどうかは定かではないが、ここに映し出された残酷美は、あまりに残酷で残酷で美しすぎる。
◇
都会で生まれ、都会で生まれ育ち、進んだ教育を受けた姉弟が大自然に放り出された時、彼らは干乾びて死んでいく。その中で出会ったwalkabout((アボリジニの)通過儀礼)中のアボリジニの男の子。(文明人?から見て)教養のない未開人が、「便利」に守られて生きてきた現代人を助ける、と言う、何とも文明を皮肉った設定だが、しかし、その間にある壁(思えばオープニングの学校教育やらのシーンから砂漠に飛躍するカットにもレンガの壁が登場していた)は、やはり「壁」でしかなく、そこにファンタジーは存在しない。存在するのは非情なまでの現実、壁でしかない。
同伴した彼女はこの映画のクライマックス、アボリジニの求婚?の踊りを指して「怖い」と言った。同感である。あのシーンの恐怖は、下手なホラーを超えて怖い。そう、怖いのだ。「愛」が怖いのだ。好意が怖い。「壁」というフィルターを通してみれば、本来純粋であるであろうその感情、つまり「愛」もまた、恐怖の要素でしかない。
もしかしたら、この白人の二人の姉弟は「walkabout」を超えても、結局は大人になれていない、と言うオチなのかもしれない。何たる皮肉。コンクリートという欺瞞と矛盾と傲慢に満ちた建物の中で、「幸せ」と言う名前のプラスティック・ライフを送り、「思い出」と言う名の「WALK ABOUT」を思い出す。
その証拠に、彼ら姉弟はアスファルトの道路を頼りに砂漠を脱出した。どれだけ心が通っても、結局は「違う」人間なのだ。そう高らかに宣言しているかの様な残酷なラスト。そして、それに気付いてしまった純粋なアボリジニの少年は自らの命を絶つ以外に道は無かった。無垢故に「壁」に耐えられない「弱さ」。不純物100%故に「壁」に耐えられる「強さ」。
なんて、なんて残酷なんだろう。その残酷さを自然が彩った時、なんて、なんて美しいんだろう。なんて、なんて矛盾なんだろう。
ひたすら見つめられる死。砂漠の真ん中で突然発狂して死ぬ親父に始り、「生きる」為に動物を狩るアボリジニ。その横を「楽しむ」或いは「儲ける」為にジープと銃で動物を狩る文明人。
なんて、なんて残酷なんだろう。なんて、なんて美しいんだろうか。
◇
『地球に落ちてきた男』、再見してみないといけないのかもしれない。この映画はまぎれもなく傑作だと思う。
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