[コメント] 昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(1971/日)
今回の花田秀次郎の諸々の所作の美しさは見事である。シリーズの従来作もそうなのだが、今回の彼の所作を由緒正しく描こうとする姿勢は飛び抜けている。
乱れてきた渡世のしきたりを「本物の筋金入り」の渡世人秀次郎の姿を通して執拗に描く。仁義の切り方、食事の作法、賭場での作法等々、秀次郎は頑なに「筋」を通そうとする。
本作の特徴は、花田秀次郎が親分を持たずに旅を続ける渡世人であり、ただ一宿一飯の「義理」の為だけに縛られ、誰にも「恩義」を持っていない点である。従来のシリーズでは相手方の鶴田や池部が自分の意=社会正義に反して、義理の為に高倉と仕方なく対決せざるを得ない場合が多かった。しかし本作では高倉がその役を演じている。ここが本作の特徴である。かつてこれほどがんじがらめに縛られた秀次郎はいなかった。
シリーズ生みの親佐伯清自身が作詞したテーマ曲にもあるように「白を黒とでも言う」不条理なやくざな世界そのものをようやく主人公が演じてみせたのが本作であったのではないか。故に本作の秀次郎は直情一本気な明確なヒーローでは無い。どう見ても「正義」である松方に対して「悪」の親分への義理の為に「筋を通せ」と形式論を何度も振りかざす。けっして逃がしてやろうとはしない。
今回、秀次郎がこだわった「筋を通せ」という形式論は、観客の従来のヒーロー像からは外れるものであろう。だが、誰もが最後の着地点は知っている。だから、いつ秀次郎が「悪」を裏切り、「正義」に寝返るのかが最大の見せ場になってくる。そしてそれが遅ければ遅いほど、「白を黒とでも言う」不条理なやくざな世界が鮮明に描き出される仕組みになっていた。
そしてラストの斬り込みで「仁義なんか糞喰らえだ!」という最大のカタルシスへと繋がっていく。
そしてもうひとつ、本作の特徴は今回の秀次郎には他のシリーズにあるような「守るべきモノ」は無かった。親分や子分であったり、愛する女や堅気の人々の為に自らの命を投げ出すというものではなかった。復讐でも義理でもなく、秀次郎はいったい何を基準に斬り込んだのか。
これは「渡世の筋」であった。昔から伝えられてきた「ルール」だけを心の支柱にして、それに逆らう者は自身も含め許さない。作品前半で執拗に描いてきた由緒正しき所作の数々がここで生きてくる。
これまでのシリーズで「義理」と「人情」の狭間で揺れ動く風間重吉という稀有なキャラクターを今回主人公である花田秀次郎に転換させたことは、このシリーズに復帰した佐伯清監督が風間重吉というキャラに最も魅力を感じていた証拠だと思う。そうなのだ、このシリーズで最も描きたかったのは、これまで池部が演じてきた風間重吉なんだということが良く分かる一品だった。
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