[コメント] 西陣の姉妹(1952/日)
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吉村=新藤の一家離散ものとしては『安城家の舞踏会』が有名だが、私はこちらの方を好む。こちらはロマンスなど殆どなく、ただ崩壊へのカウントダウンだけがある。止められない不振、金策につぐ金策、恩をかけた者の掌返し、雇い人たちの転落と叛乱、連動する家族の不幸。家の取り壊しまで冷酷に描かれる。正に人生の試練のような映画。
文鎮のように座っているしかない次女の宮城野由美子に、さもありなんというリアルがある。他の作品ではおきゃんな美人(なお、どうでもいいけど、蔵原の嫁さん)なのだが、本作では殆ど表情を変えない(三女の婚約を伝える件でイジワルするときだけが例外)。状況が彼女の表情を強張らせているのだ。だから宇野重吉の告白を受けても無表情のまま、ただ火鉢のうえに鉄瓶を滑らせる。このシーンがとても美しい。
菅井一郎は流石の一言。突然に刀の鞘が落ちて宇野対菅井になる件とか、家の取り壊し中での東山千栄子の逝去とか、折り重なる凶事を必然と見せる演出力もすごいものだ。世の中そうしたものである。
宮川キャメラは基本しっとりしているのだが、突然自転車に乗る宇野をトリッキーに撮ったり、先の刃傷沙汰ではネオリアリスモになったりと、よく云えば意欲的、悪く云えば一貫性のなさがある。宮川の全盛期はやはり翌年からなのだろう。ただ、贔屓目に観れば、最後の旧家崩壊の衝撃に向けて段階的にゴツゴツと仕上げたようにも思われる。
本作はシチュエーションを変えただけの新藤の私映画であり、新藤贔屓にとっては『悲しみは女だけに』と並ぶ重要作品。「敷石まで持っていかれた」は彼がよく回想する件だが、これもそのまま出てくる。殿山泰司はここでも新藤その人なのだろう。一瞬だけの反撃を受け持つ田中絹代も、三浦光子の頼りない長女も効いている。
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