[コメント] 王になろうとした男(1975/米)
信仰の対象の違い(宗教の解釈の違いと言い換えてもいい)が争いの種になる根本的な原因がよくわかった。「なぜ?」ではなく「なるほど」と。まさか、この娯楽作品でそれを強烈に知らされるとは思わなかったが。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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神とはこの地で人間として生きて死んで後になるものだ、と説明すればよかったのに。
日本人向けにわかりやすく言えば、菅原道真が学問の神様と言われている大宰府天満宮がある。
「菅原道真は神か?」
いや人間だった。死んだその後にその功績が称えられ信仰の対象と崇められ神格化したのだ。
徳川家康を神とする日光東照宮然り、(天照大神から脈々と受け継がれる天皇家をすなわち)実在した人間・聖武天皇を神とする天岩戸神社然り。
みな、地上では人間だった。家康は国を治めた。聖武天皇は日本各地に農耕を伝えた。
アレクサンダー大王だって存命時から神だったわけじゃない。かの地に文明をもたらし、信仰の対象となった筈なんだ。
ドラボットは、そう、上手く日本流に通訳に伝えさせることができれば、本当に王を経て、神になっていたかもしれない。
残念だwww
あっ、ちなみに、僕は無神論者ね。
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