[コメント] サン・ソレイユ(1982/仏)
魂のない詩を、私はたわごとと呼ぶ。何て傲慢なドキュメンタリー。
『クリス・マルケルプレゼンツ、不思議の国ニッポン』
手紙を使って誰かに語りかけているという形を取った延々続く一人称。この映画では延々「私」しか出てこない。そこに映されているたくさんの日本人たち、彼らの声はどこにもない。「彼らはこんな人たちでこんなことをしている」という決めつけ。
クリス・マルケルが映すのはあくまで「スモウ」であり「ジンジャ」であり「ドンドヤキ」だ。異邦人の目から見て「日本的なるもの」にしか目を向けない。春から秋にかけてテレビでゴールデンタイムを占領するスポーツは?結婚式開催の人気スポットは?日本発の世界中で売れまくっているファーストフードは?それらすべてを無視し、マルケルの考える日本のみが強調される。
日本人たちへのインタビューはない。そこにいる生身の人たちと交流することなく、終始隔たりを持って彼の興味の対象を「見つめる」のみ。そして見つめたものを「位置づける」。彼の頭の中だけで勝手に解釈される日本。
それはほんものの日本なのか?
あんたはなぜ、日本で撮影をしたんだ?
日本に暮らす人々の心にふれないで、あんたは日本を語るのか?
「キモノ」を身につけるニホンジンの心、そこに踏み込む度胸すらなく、ただ上っ面の「キモノ」のみに目を向けた詩。その日本には魂がない。なんという根性なし。
そしてこれを「日本」として語り、彼の中の「詩的なるもの」の中に組み込む傲慢さ。私は押しつけるのは嫌いじゃないが、押しつけられるのは歓迎しないよ。
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