[コメント] 美しい夏キリシマ(2003/日)
南国の有無を言わせぬダイナミックな自然のもとで、戦争は限りなく卑小な出来事に近づいてゆく。そしてだからこそ、個のレベルにおいてのその事実は哀しく深い。
海の向こうの王道楽土、迫り来る鬼畜たち、何処かに落ちたという新型爆弾、そして天皇。総ては照りつける太陽のもとで個人の営みのなかに織り込まれ、蝶の羽根の文様のように、瞬間個人の暮らしを注視させるのみのものになっている。霧島は人間が緑のなかで呑みこまれつつ息づいている一種の逆ユートピアか。悪夢はささやかに暮らす個人のみを喰らい、そして個人レベルのみの悲劇を生産し続ける。
多くの日本の小村にとって、第二次大戦とはこの映画の中のようなものであったのだろう。そこにマキシマムな地獄は存在しない、ただ個々の心に限りなく尾を引き続けるミクロの慟哭があるのみだ。それは矮小で滑稽な、本人のみを苛み続けるカタストロフだ。
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