[コメント] シャドー(1982/伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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プロモーションで訪れたローマで新作小説を模倣した連続殺人事件に巻き込まれる作家のサスペンス映画。
終盤になって、小説を模倣した連続殺人が書評家の犯行で、後半の主人公のエージェントと妻の殺人が書評家を口封じで殺した上で便乗した主人公の犯行だと発覚する展開。
主人公が書評家の犯行に便乗するのはいいのだが、主人公のピーターが小説を模倣した殺人を犯していた書評家ベルティを殺害する際の行動ぶりに不可解な点がいくつも生じ、結果的に最後に主人公の犯行が発覚しても納得できないまま終わってしまった。
例えば、主人公ピーターは模倣犯の書評家ベルティの家に乗り込む際に、アシスタントのジャンニをなぜ同行させたのかという点。犯行を目撃されれば、便乗殺人の計画が失敗する可能性もあるし(現に明確にでは無いものの目撃されている)、こんなリスクの高い行動をするのは不自然。
またベルティを殺すにしても、なぜ隠密で行動せずに、警察の捜査の介入を許すような目立つ殺害方法を取ったのか分からない。ベルティの生死を曖昧にしておけば、自分に容疑が及ぶまでに時間稼ぎもできたし、警察にベルティの事件の捜査に介入された後で便乗殺人を犯してもすぐに第三者の犯行だと見破られる可能性が高いと思うのだが。
後、ピーターはベルティ殺害の際に自分も犯人に襲われたと装うために頭を石で殴られたように偽装工作をしているが、後頭部に傷をつけるほどの偽装工作を単独で行うのは不可能だと思う。そういうことが可能なのなら、カットせずに偽装工作のシーンも描いてほしかったところ。
このピーターの行動の不鮮明ぶりを、精神異常と結びつけるのも可能だろうが、ピーターは終盤にも、妻のジェーンの隠れ家に秘書のアンが来ることを予測して犯行を実行したり、ニセの剃刀を用意して偽装自殺を企てて警察を欺くなど、かなり計画性を持って犯行しており、なまじ知性を働かした行動が目立つ分、ベルティ殺害の際の行動の穴が推理小説作家とは思えない稚拙ぶりで、バランスが悪くなってしまった。
ダリオ・アルジェントの作品に整合性を求めるのはナンセンスだろうが、ここまで破綻していると、ちょっと見てられない。
殺害シーンはカメラアングルに拘りは感じられるが、どのシーンも、どこか、まったりとした印象で過去の作品と比べるとインパクトが薄い。
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