[コメント] 昼下りの情事(1957/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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音楽の使い方、という点では、視覚的にも、音楽隊の使い方に感心させられる。彼らの、常にフランク(ゲーリー・クーパー)との間に距離を置きながらもつき従う様子が、微笑ましい。フランクが、アリアンヌ(オードリー・ヘプバーン)が録音した、それまで付き合った事のある男のリストを聴きながら悩む場面では、フランクを励ますように延々と威勢よく演奏を続ける音楽隊の疲労が、そのままフランクの苦しみの暗喩にも見えてくる。またこの場面は、開かれた扉で隔てられたフランクと音楽隊が、その場を動かず無言のまま、酒を乗せたワゴンを往き来させるアクションの面白さ、フレーム外で酒を手にしているであろう音楽隊の演奏が、その間弱まる事の面白さという、視覚と聴覚の心地よい刺激が愉しめる。
この音楽隊やホテルのボーイたちがフランクの部屋からぞろぞろと出てくるショットも、特にどうという場面でもないのに、コミカル。そして、アリアンヌの父から真実を告げられたフランクが去ろうとする場面では、コートを着てドアから出てくる音楽隊に、黄昏たような切なさが漂うのだ。
また、アリアンヌが初めて訪れるフランクの部屋から漏れる音楽が、緊迫した場面から、甘いムードへと移行する演出と同調している事や、アリアンヌがフランクの過去の資料を眺めながらチェロを演奏するシーンでの、彼女の動揺を反映した音のズレ。あたかも、フランクの過去を演奏しているかのよう。
フランクの部屋の照明の幻想性もいい。フランクが射殺されるのを救おうと浮気相手を装ったアリアンヌが、ベールを持ち上げられてその顔をクローズアップされるショットの美しさ。
アリアンヌは、フランクの過去の恋愛遍歴をそのまま反映してフランク自身に突きつけるような形で嘘をつく。だが、父が仕事の依頼主から預かったコートを勝手に着て来たアリアンヌが、フランクの前でそれを脱いだとき、父の調査資料を自らの身にまとった事による嘘や背伸びもまた、脱ぎ捨てるのだ。純粋無垢な耳年増としてのアリアンヌと、彼女の嘘(=自らの遍歴)によって初めて無垢な気持ちにさせられるフランク。傍目にはやや無理があるような年の差恋愛だが、一つのお伽噺の構図としては非常に整頓されていると言える。
また、「THE END」の文字と共に、あの音楽隊がこちらを向いて演奏しているラスト・カットにも、ほのぼのさせられる。一緒の汽車に乗って去って行ったフランクとアリアンヌを見送っているような、と同時に最後まで映画に付き合った観客に挨拶を送っているような、なんとも粋なエンディング。この軽妙さと優しさが、堪らなく好きだ。
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