[コメント] コンタクト(1997/米)
無神論者は人類の代表にはなり得ないらしい。しかし、そこでいう「神」とはキリストを指す。僕等はいったいどうすれば良いのだ?
イスラムも仏様もそこにはいない。ちなみに私は湯島天神で受験祈願をし、結婚式は幕張のホテルで牧師さんが立ち会った。死後は上野の寛永寺で永久の眠りにつく予定を立ててある。
日本には八百万の「神」がいるという。森に、山に、沼に、生活の道具たちに、恋に、株や馬券にさえいる。
何故、宇宙というと「神」が持ち出されるのだろう?アメリカのある州では学校の授業で「進化論」を教えることを禁じたそうだ。昔の話でなく、現代の話である。そこまでして、いったい彼等は何を守りたいのだろうか?「アダムとイブ」や「ノアの箱舟」を本気で信じているのだろうか?
寄せ集めの移民の国。
キリストという精神的支柱を失ったら国家が崩壊してしまうのか?
戦前の日本人が天皇を神と崇めていた事実は、現在からすると滑稽な感がする。しかし、ハリウッド映画に頻繁に登場する「神の存在」もまた、ひどく滑稽に感じてしまうのだ。
キリストの御名において、愛し合い、殺し合い、異教徒を弾圧する。
無神論者とされる日本人として生まれ、「恥の文化」と「道徳心」をある程度持ち合わせていれば「人として」生きていくのに不自由はしていない。 この映画では無神論者は5%に過ぎない異端であると言っているが、少なくとも「宗教」の御名の下で異教徒を弾圧することがないであろう日本人に生まれ、私は良かったと痛切に感じている。
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