[コメント] ゼブラーマン(2003/日)
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家庭の問題に背を向けた現実逃避としてのヒーローごっこが、ラストシーンでは却ってその背に、妻(渡辺真起子)と娘(市川由衣)の視線を初めて向けさせることになるのだが、「世界を救う」という壮大な課題を解決し得た一方、その「世界」の中の小さな問題としての妻と娘との関係を、一親父としての哀川翔は全く解決の糸口すら掴めないままで終わる。彼が喝采を受けるのは、飽く迄も「ゼブラーマン」としてのみだ。
だが、これも一つの誠実な作劇かもしれない。映画という妄想装置を用いて、男の夢としてのヒーローごっこを存分に満たすのはいいとして、妻と娘との関係は、具体的な他者としての彼女達を無視しては考えられないもの。ここでオヤジの妄想・願望としては、ヒーローとして頑張ることと、妻や娘との関係を回復することを一致させたい筈。だが、世界を救うということは、取り敢えずは無条件に良いことだとして肯定し得るとしても、妻や娘がオヤジに関心を寄せねばならない必然性は、そこまで根拠のあるものではない。だからオヤジは、ゼブラーマンへの愛を共有する教え子・浅野さん(安河内ナオキ)や、暗い父のせいで虐めを受ける息子(三島圭将)らと、男同士の友情のようなものは得ることが出来ても、女達との関係は、鈴木京香とのそれを含め、なんだか煮え切らないまま終わるのも致し方ない。二兎を得ようとするのはオヤジの勝手だが、世界はその勝手に付き合う義務は無い。
それにしても、緑の宇宙人の、あまりに本気度の欠けたデザインや、オヤジが突如ゼブラーマンとなる理由が最後まで完全無視されていることなど、ラスト・バトルに熱いものを注ぐ要素が等閑にされているのは惜しい。その一方、車椅子の浅野さんが立ち上がることによって、ゼブラーマンを励まし、遂に彼を飛ばすというベタな展開が感動的であったのは、そこまでに展開されていたB級コメディ的要素が、作品に予測不能性を与えていたお陰だろう。ヒーロー・スーツを着て、夜道の自販機へジュースを買いに行く勇気、などという最低レベルの所から徐々にステップ・アップしていかせるプロットが効いている。
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