[コメント] 綴方教室(1938/日)
「村の鍛冶屋」の合唱をBGMに下校風景。女の子たちは、ほとんど制服の中、一人浴衣のような着物を着た背の高い子がいる。これが高峰秀子。当時14歳ぐらいだが、小学6年生を演じている。友達と別れる際に、背中などを叩いて「はい、お土産」とふざける。もちろん抜群に可愛いのだが、高峰の着物の丈が短いのも愛らしい。
主人公(原作者)豊田正子−高峰の家はブリキ職人だ。家の裏に井戸があり、小川も流れている。荒川の土手もすぐ近くなのだろう。父親は徳川夢声。母親は清川虹子。彼女が当時23歳ぐらいというのは見終わって調べて驚く。下に弟が2人。全体的にひどい貧乏話だ。
綴方の授業のシーン。先生は滝沢修。高峰に、彼女が書いた弟についての作文を読ませ、他の生徒に質問をさせる。これにより、読む人が分かりやすいようにすべき修正点がよく分かる。後日、修正後の作文を誉められ、高峰は文章を書くことが好きになる。
本作は高峰の日常生活を、ところどころ彼女の書いた作文の映像化シーケンスを挟みながら綴っていく形式の映画。なので、メタ的趣向が出て面白い部分がある。例えば、お金が無くて、配給券?をお米に換える場面を映して「恥ずかしくて誰にも知られたくない」と作文にしていたり、母親−清川が「また綴方にするんじゃないだろうね」と云い、高峰は「書かないよ」と云うが、ちゃんと映画になっているじゃないか、と思ってしまったり。
また、要所で映画的な技巧が効果的に使われる映画でもある。例えば、隣のオジサン−三島雅夫に頼んで、鶏をつぶすシーン。裏庭で見守る高峰たちからのトラックバックやパンニングを使った流麗な移動撮影を見せる。あるいは、雨の日に、動くとお腹がすくからと、皆で寝ている場面の雨音の演出。雨漏り。窓の外の雨に反射する光の演出。音の演出では、終盤の修羅場の場面での、大晦日の除夜の鐘がずっと鳴っている効果も見事だと思う。
他にも、ウサギの作文の顛末だとか、芸者の話だとか、面白い挿話が沢山あるが、長くなるので割愛する。とにもかくにも、どの場面も14歳の高峰秀子の魅力に収斂している、ということは強調したい。本作も、彼女の可愛らしさを愛でる映画として、大きな価値があるだろう。
#備忘でその他配役等を記述します。
・担任の先生−滝沢の妻は赤木蘭子。
・隣のオジサン−三島の奥さんで、ウサギをくれるのは本間敦子(本サイトでは本間教子及び本間文子)。本間がウサギをくれる際に「あそこは、お大尽だけどケチ」と云う、(お大尽でケチな)梅本さんの奥さんは伊藤智子だ。
・本間が退場したあと、三島がもらう後妻は音羽久米子。本間は、終盤も再登場して、面白い見せ場を作るので、とても良い役だと思う。
・見終わった後、「わたしの渡世日記」の本作の項を読み返した。原作者の豊田正子についてどう書いているか、気になったのだ。いや全くリスペクトを込めた文章でした。
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