[コメント] ロスト・イン・トランスレーション(2003/米=日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ついに観た。
この映画の存在を知ったのは2004年8月6日土曜日のことだった。その時、自分は一人でタイを旅していたのだ。バンコクにある巨大商業施設マーブンクロンセンターのエスカレーターの踊り場に、この映画のポスターが掲示されていた。きっと上の方の階にある映画館で上映中だったのだろう。その物憂げなスカーレットヨハンソンのポスターを自分は16年ずっと忘れられないでいた。ポスターの惹句にはこう書いてあった。
Everyone wants to be found.
誰もが、見つけられたがっている。
当時、自分は孤独だった。めちゃくちゃエキサイティングで一生の思い出な旅の真っ最中だったが、同時に孤独でもあった。東京と同じようにバンコクも大都会であり、人で溢れかえっていた。日本人旅行者も山ほどいた。けれども、自分は、誰からも見つけられなかった。シャーロットのように。そういう意味で、孤独だった。だから、ポスターに書いてある惹句が、電撃のように心を貫き、自分を捉えて離さなかった。そうだよな、見つけられたいよな。
それからずっと忘れられないで、観よう観ようと思っていて、でもきっかけもなく時が過ぎていった。観たのは2020年7月24日。東京オリンピックの開会式があるはずの日だ。コロナで何もできない4連休で、東京繋がりで、思いついて観たのだ。あの日からほぼ16年、5831日間かかった。
あの時、マーブンクロンの映画館で観ていれば良かったのか?自問自答の日々でもあった。違う。今観るべき映画だったのだ。あの時もし観ていたら、今とは感想が異なっていただろう。多分この映画の本質が理解出来なかっただろう。今の自分の方がボブに近い。
孤独には2種類ある。
1つ目は、広い浅い意味での孤独。誰かと話したい。誰か傍にいてほしい。誰かと繋がりがほしい。あの時の自分だ。映画を観るまでこんな孤独の話かと思っていた。
違った。
2つ目の孤独、より複雑な、深い意味での孤独の話だった。ボブは話し相手は山ほどいる。ホテルの部屋の外ではビジネス関係の人とつきっきり。部屋に戻っても年がら年中妻と電話やファックスでの拘束。人がいすぎて疲れるぐらいだ。これは自分も同じ。仕事中は世界一の有名人?ってほど人が話しかけてきて、明日地球が滅びるんじゃないか?ってほど電話が掛かってくる。仕事中は透明人間になりたいし、電話のない世界に行きたいといつも思っている。
でも孤独なのだ。
見つけられたいのは、彼らからじゃない。歯車の一部として、義務として見つけられたいんじゃない。本当に自分と繋がりたい人に見つけられたいんだ。贅沢な話だ。マズローの欲求5段階説のピラミッドで言えば結構上の方にあるやつだ。でもそれより下の欲求は全て満たしているんだから仕方がないじゃないかw
ボブは壮年に見えるが、性機能的にはまだ元気なようだ。敢えてそういう描写があったのは、逆にシャーロットとの関係を強調したかったためなのだろう。シャーロットとも肉体関係は持てたかも知れないのに、敢えてそれをしなかった。シャーロットを女としてではなく、もっと根元的に、人間として必要としていたのだろう。
例えるなら、鳥だ。いつも羽ばたいているが、どこかで止まり木が欲しいものだ。16年待った甲斐があった。あの時の自分ではここには気付けなかっただろう。止まり木が必要なのだ。それは人生の中で見れば一瞬なのかもしれない。しかし、大半の無駄な日々と同等、いやそれらを遥かに凌ぐ価値のあるものとなるのだろう。
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