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[コメント] エレファント(2003/米)

ただ、そこにその事実があり、それが目の前にある現実の続きであるだけ。それ以上でも以下でもなく、ただ淡々と続くのみ。信じられない非日常の中も、日常と同じ様に時間は流れる。 2004年6月20日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







非常に心地良い冷めた視点。人物を背後からステディカムで追い掛け回し、しつこさすら感じる程の長回し。しかし、(その後の惨劇の舞台となる)開放的な校舎内の心地良さが退屈させない。

初っ端からクライマックスまで延々と描かれるのは、いつもと何一つ変わらない何の変哲も無い日常。俺は退屈しなかったけど、人によっては明らかに退屈するであろう内容だけど、結局日常なんてそんな物で、その日、あの事件の直前に何があった訳でもなく、いつもと何ら変わりない日だった。ただ、その何ら変わりない日常の儚さが時折挿入される空の映像や、校舎に差し込む光、少年少女の持っている他愛なくもあり、深刻でもある悩み等々が退屈な日常にスパイスを与える。

特に説明的な描写もなく、淡々と人物を追いかける。時間軸を交錯させ、重複させながら何度も同じ時間を他方向から描く。しかし、決してカメラ(観客)は描かれる人物の内面に入ることはせず、ただただ傍観者であり続ける。決して事件を分解し、何かを浮き彫りにする訳でもなく、ただただその残酷な視点から日常と、その延長線上の非日常を描き出す。何とも美しいことか。

そして時折挿入される、どこからかともなく聞こえる微かな音(声?音楽?)。静寂を破る銃声・・・

時間軸を交錯させ、多人数を同時に描く。しかし、内面には入り込まずに、あくまで徹底して客観的な視点から冷めて描く。事件が起きようと、同じスタイルで描き続ける。被害者も、加害者も、傍観者も同じ視点で描き、「ただそこに居て、事件がおきた」という事実のみをなぞる。

その手法、つーか取り組み方は素晴らしい。

しかし、果たしてその視点が一貫して最後まで通されているかどうかには疑問を感じる。

タイトルは「目隠しをして象を触ったら、誰も像とは分からなかった」と言う事が由来の一つであり、ガス・バン・サントはこの事件に対する周囲の捉え方に対する意味を込めたのかもしれない。ただ、監督本人もその象を触る群衆の一人に陥ってしまっている(って、映画化してる地点で既に陥ってるんだけどね)。

それは、犯人を掘り下げた事。ナチスを絡め、殺戮ゲームを行い、体育会系の奴らを殺すだの作戦を練ったり、校長にイジメに関する事をグチグチと言ってみたり、と掘り下げた、とは言わないかもしれないが、何か他の少年・少女たちの描き方と違い、別の視点になっている気がして居心地が悪かった。

何度も言うけど、この映画のスタイルは凄く好き。犯人を微量ながら掘り下げてしまった事にはがっかりしたけど、それでも許容範囲だった。クライマックスも、淡々と人を撃つ。倒れ、血を流す。あくまで淡々と進んでいく。その悲劇に美しさを感じてしまうほど。

ただし、俺個人としてはあの程度のクライマックスでは満足できなかった。と、書くと事件の被害者関係者に配慮してないみたいに思われるかもしれないけど、この作品が描いたのはあくまで「儚い現実と言う名の日常と、その延長線上にある非日常。」と言う映画的な美しさを持った物。そこに美しさと儚さこそ漂う物の、血生臭さが無く、事件、と言うよりも一種の夢にしか見えなかった。

ガス・バン・サントが元々それを狙って撮ったのならそれで良いし、恐らく事件の生生しさなんて描くつもりは無かったと思う。単純に、求める矛先が俺と違いすぎただけかもしれない。

だから俺の一個人としての意見だけど、この作品のクライマックスは、確かに冷酷な程突き放して描いてはいるものの、あまりに美しすぎる。

ボウリング・フォー・コロンバイン』に挿入された事件映像を見れば分かる通り、現実はもっともっと生々しく、血生臭い。

この作品には、パイプ爆弾で吹き飛ぶ様子も、脳みそと頭蓋骨が吹き飛び、勢い良く吹き飛ぶ描写も無ければ、腹から大量の血を流し、泣き叫びながら逃げ惑う生徒も特に居ない。ただ撃たれ、倒れ、死んで行くのみ。

俺が見たかったのは、いつもの日常が修羅場と化す様子。いつもの白い壁が赤く染まり、トイレのタイルが血に染まり、洗面台は赤い水で溢れる。廊下には脚をひきずりながら逃げる生徒の血痕が一本続く様子。助けを請う生徒を無表情に射殺する様子。校舎から泣き叫びながら脱出する生徒。

この映画で死んで行く生徒は、描き方が詩的(?)故に美しくも見えるが、実際の所、その死に様はあくまで映画的であり生々しさが無く、事件性を感じない。ファンタジーにしか見えない。

ガス・バン・サントは美しさを撮った。それは正解だったかもしれない。ただし、俺はそこに圧倒的な非日常性を感じきれなかった。

ただし、惨劇が起きている事に気付かず、銃声が聞こえても「何でもないだろ」と授業=日常を続けている最中に飛び込む非日常、等々、シーン一つ一つの迫力は凄まじい。例えそれが詩的に美しい物であったにしても、それはそれでやっぱり衝撃的。

と、長々と意味不明な長文になりましたが、描き方はもの凄く好きですし、別にあのクライマックスの描き方を否定する気もありません。単純に好み、と言うか考え方の問題ですから。

(評価:★4)

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