[コメント] 殺人の追憶(2003/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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残酷な事件に接するうちに、感情に囚われ非理性的な力を行使してしまうソ刑事。その感情の正体は正義や、復讐心や、プライドといったところか。この映画は、どんな種類の感情に基づくものであれ、合理的な正当性と理性を捨てることへの批判が根底にあり、それを厳しい大人の感性と知性が支える。まして、その感情によって力(ここでは公権力)が執行されてしまえばそれは悲劇であろう。
登場人物達はみな事件の巨大な渦に巻き込まれ自分を見失う。書類のデータに基づく合理的な捜査を信条にしている中央の高学歴エリートは最後にもっとも理不尽な力を行使しようとしてしまう。「目を見ればわかる」と感覚的な確信に基づき足で捜査してきた刑事はもはや何を信じていいのかわからず刑事である事そのものを放棄する。頭の足りない男も、真面目で信心深い労働者も、理不尽な権力に信念を持って抵抗する若者も、最初は犯行を否認するが、やがてやってもいない犯罪を認めてしまう。人間は非理性的な力のうねりの前に、抗う事が出来ない。何て悲しい人間の弱さであろう。
誰もが事件に翻弄され、負けたのだ。人間の弱さによる敗北である。実際の未解決の事件を題材にしている為、その敗北は現代に繋がり現実社会に突きつけられる。
だからこそポン・ジュノ監督は理性を捨てる未成熟な精神と無知をあくまで批判する。それがまかり通る人間社会がいかに危険か警告する。民主化運動が鎮圧され、個人よりも国家が大切な軍事政権を背景として不気味にリンクさせながら。しかも、不当な国家権力を振るう人間側の視点に観客を立たせるのだ(何て凄まじいセンス)。
この映画の警察を先進国を気取る日本は笑う事など出来ない。暗黙の了解となっている自白至上主義、でっちあげ逮捕、監獄法、警察署に存在する代用監獄と拷問、守られない「疑わしきは罰せず」の原則、現実的効果の薄い国賠と刑訴、厳然な事実究明と治安維持よりも書類上の解決と面子と表面上の数字が重視される警察の空気、社会的弱者や法的抵抗力の弱い者へ繰り返される人権侵害、見せかけの三権分立、記者クラブに守られた閉鎖性、そして拷問とみなされているはずの死刑・・、これら日本の司法は国連をはじめ国際社会で厳しく、そして幾度となく警告・非難されている。
理不尽な力が行使される未成熟な社会への批判精神を捨ててはいけない。
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