[コメント] 殺人の追憶(2003/韓国)
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袴田事件における拷問取調の報道があった処だが、本作、国は違えど、この現場を想像させる描写に富んでいる。取調をテープに録音するのは強制した自供を記録するためだったとよく判る。
1987年とあるから韓国軍政末期の設定。『大統領の理髪師』『冬の小鳥』など、軍政時代を批評する韓国映画は優れたものが多いが本作もその一本。刑事たちは民主化デモの鎮圧に駆り出されている。拷問体質もその通りだったのだろう(署内には拷問禁止という貼紙がみえる)。刑事たちは犯罪を「解決」するため、なりふり構っていない。人権無視が徹底している。そこにブラックユーモアがあるが、とても笑えない。走り出したら止められない官僚機構の生の姿が剥き出しになっている。
私は『ダーティ・ハリー』のパロディ、批評として観た。それぞれ卑屈な容疑者たちは皆、アンディ・ロビンソンのサソリの分身のようだ。刑事は最後の容疑者パク・ヘイル(この美男子の幽霊のような存在感のない存在感が素晴らしい)を令状なしに狙い撃ちするが、DNA鑑定により違うと判る(昔のDNA鑑定は誤差があった訳だが、本作では無視すべきだろう)。雨中のトンネルを手錠をつけたまま逃げ去るヘイルの件は正に不条理でカフカ的で、正義は法を超えるというバイオレンス刑事もののカタルシスへの異議申し立てがある。
カフカ好みの遅延した後に届けられた通知文書は、この刑事たちに利を与えることはあり得なかった。彼等は犯人は捕まえられないことになっていたのだ。「審判」の鞭刑吏のように一生、無益な拷問を続けるというのが、この官僚にお似合いの運命だったのだ(さらに云えば、これをアメリカから教えてもらうという皮肉も含まれているだろう)。
ラストで刑事を辞めたソン・ガンホはたまたま殺人現場を再訪し、同じ溝の中を覗いていた者がこの前もいたと教えられる。「どんな人だった?」「普通の人」。ここに推理ものとしての不可解さを読んではいけないだろう。普通の人はあんたたちには捕えられないのだ、という官僚機構への批判を読んでこそ、本作は軍政下の批評として一貫している。
これは昔話ではないし、韓国だけの話でもない。現に共和党シンパのイーストウッドにそのホンネ主義を持ちあげられて、新大統領はハリー気取りだ。令状なしの狙い撃ち、法を超える正義が何をもたらすのか、本作は丁寧に教えてくれている。それは末端官僚にとっても不幸だろうが、被害者の不幸とは比べものにならないくらい小さい。
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