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[コメント] 父と暮せば(2004/日)

父は元気のない娘を幸せにするために出てきたのではない。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「お前はわしに生かされている」「悲しかったことを伝えるのがお前の仕事」。原田芳雄が出てきたのは、彼女が図書館員であること、「史実を忠実に伝えるのが根本精神」な昔話研究会の活動を続けていること、浅野忠信という研究者が相手であること、という条件が揃ったからだった、と最後に判る仕掛けになっている。「恋の応援団長」は相手が誰でもよかったのではない。原田は一義的には、元気のない娘宮沢りえを幸せにするために出てきたのではない(!)。史実を伝聞させるために出てきたのだ。「お前にできんのなら代わり(孫)を出してくれ」。彼はあらぶる神のように強引な一面を持っている。

しかし、だからこそ、宮沢は生きる意味を得た。一般に、超自我というやつは人を非難しに来るものだ。「幸せになってはいけんのよ」と。これは誰にでも起こることだ。その立場からすれば、そのとき原田とは宮沢にとって何なのだろう。それは「運命」に鷲掴みにされることではないだろうか。原爆被害という史上稀な悲劇を更に超えて、本作は何か人として根本的に必要なことを語っているように思われる。もっと書きたいことがあるが、ここから先は個人的なことになるから止める。誰にとってもそうだろうと思う。

本作は秀逸な劇場中継であり、部屋のなかをキャメラはときに自在に走り回り、技術の進歩を示して見事だが、それがこれ見よがしでなく抑制されているのが大人の演出だ。井上ひさしの演劇界での偉業を「複製芸術」で堪能できる機会を設けて、しかも立派な映画だ。この長回しメインの劇場中継はミゾグチの理想とぴたり合致しているではないか。

そして素晴らしい宮沢劇場だ。長回しのなか水を得た魚のように美津江の心情を表わして余す処がない。このレベルになると演技と云うべきでなく表現と云うべきで、彼女の役者魂が美津江そのものだという感慨は観劇の理想郷だ、ただもう圧倒される。彼女のぴんと立った背筋の表現がとりわけ饒舌で、もっさりして飛んだり跳ねたり縦横無尽な原田との対比で際立っており、ラス前にふたりが横並びでグー出しジャンケンをする名シーンで極まっている。

舞台は洋館であり、和室もあるが畳に座っての芝居は余りない。この選択も、ふたりの背筋の対比を強調することに貢献している。しかし金持ちな設定でもないのに、当時で洋館住まいは珍しかろうにと見ているとラストで驚かされる。この部屋は原爆ドームだったのだ(本作のファーストショットも原爆ドームであるが、普通にここが広島であると示しているだけだと見せて、観客を見事に騙している)。すると宮沢もまた亡霊だったのだろうか、という解釈に一瞬誘われるところだが、そうではあるまい。宮沢はあくまで一個人であり、しかも一個人を超えることができたのだと示しているに違いない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)Shrewd Fellow[*] 週一本[*] DSCH ぽんしゅう[*]

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