[コメント] 誰も知らない(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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理解に苦しむ奇怪なシーンが多量に存在する。金銭的に逼迫している主人公がなぜ単価が高いコンビニを利用し続けるのか、とか。家庭で使用する紙が尽きたとしてもなぜ公共料金の振込用紙を裏紙に使用するのだ、とか。女子高生の登場人物が家族に参加する過程の不自然さにコンピューターゲームや援助交際のくだり。
もちろん、上記の怪しげな一連のシーンは、作品で社会的なテーマを語るべき必然性から逆算され不自然に持ち込まれたものだ。問題はこういった「社会的なテーマの持ち込み」がこの映画で使用されている、「手持ちカメラ」、「無照明」、「自然な演技」といったリアリズムを規範とした表現と明確に乖離を起こしていることで、この映画のその乖離を抱えたままに、ラストまで突き進む。
この"乖離"や"齟齬"とも言うべきものこれだけではない。中途半端に存在する通俗的な劇映画要素との同居が最もたるものだ。冒頭からの複線が昇華されることで幼女が転落死する、壁にかけられた母の絵がアップになる(誰の視点なのだ?)、これらはその典型例だろう。
監督の履歴を考えれば、劇映画に対してドキュメンタリー的な手法の適用ということで、監督自身はおそらく先に進んだ感があるんだろうが、歪な方向に進んでいるしか思えない。
しかしまあ、映画内の"語られている位相"というべきものに対して人一倍こだわりをもっていると思われるアトム・エゴヤンがこの映画を誉めたのは信じられないし、中途半端に持ち込まれた社会学的な要素が原因となってカンヌで受け、何の演技もしていない主演俳優が賞を受賞したとしたら、この映画を取り巻くものは作品内容以上に薄気味悪いじゃないか。
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