コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ゴジラ(1954/日)

反戦・反核のメッセージを抜きにしても怪獣映画の名作。これだけの濃い内容なのに2時間かかっていないのだ。世界中に多くいる長時間かけて映画を撮れば濃い内容になるとおもっている映画関係者はこの映画を観るべきだ。
がちお

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







俺は1950年代に生きてないし、昭和なんて経験もしてないので反戦反核のメッセージには正直あまり興味はなかった。製作者や脱原発思想家が聞いたら、怒るかもしれないがハッキリ言って原爆も原発事故も福島にも広島にも長崎にも住んでいない自分から言えば所詮、他人事でしかない。

だが、そんな自分でも当時はきっと本当に核戦争というものは脅威の対象だったのだなという事がこの映画を通してよくわかるしそのメッセージは本当だったのだなと感じる。

さて、政治思想の話は置いておいて映画のことについて触れよう。

まず演出は重厚であり、映画の世界も基本的には救いがなく暗い。 何よりも、登場人物が一人も幸福になっていない。 恐らくゴジラによる災害の爪あとは多く残り、東京復興は時間がかかるだろう。

山根博士もゴジラについて研究ができなくなっているのを残念におもっているだろうし、尾形や恵美子も芹沢の死がかなりトラウマになっているだろう。

新吉少年なんて言うまでもない、家族が殺されているんだ。

さて、普通暗い映画というのは大抵笑いがないためやや話が退屈になりがちとおもわれるがこの映画はそうではない。

ひたすらテンポが速く、次から次へと話が進んでいく。

そして、登場人物たちもただただ魅力的で人間味があるので彼ら一人ひとり誰かに観客はそれぞれ感情移入することで自分なりのゴジラというものが自分の中でできる。 97分の間に登場人物たちが怒り、苦しみ、人間関係がギスギスしていくのを否応なく観客は理解することができる。

この初代ゴジラのデザインも非常に恐ろしく、角度角度からみることでどんな表情をしてるかを観客はそれぞれ意識することができるのだ。いろんな角度からゴジラの表情を楽しめることが出来る。哀れでもあるが、恐ろしくもありそして威厳を感じる興味深いデザインだ。

そして、ゴジラによる大破壊と虐殺である。 本作のウリは何よりもそこにある。

何よりも面白いのは、ゴジラによる破壊と虐殺は凄惨であると同時に気持ちがいいのだ。

初代ゴジラは戦争を批判するとともに暴力というのは気持ちがいいものであることを監督たちは無意識的に描いてしまっている。

改変された海外版ゴジラが海外で受けたのはこれが原因だろう。

ゴジラが今でも海外で多くのファンがいる理由は間違いなく破壊シーンの心地よさだろう。それまでのキング・コングにしろ原子怪獣現るにしろほとんどの怪獣映画は都市破壊にスポットをあてることはなかった。

この映画ではどうだろうか?都市破壊とそれによる人間の被害をみせつけるのだ、それもまるでトラウマを誘発するように。確かに戦争へのトラウマが影響しているのかもしれないが50年以上たった今でもこの破壊シーンを観ておもうことがあるのだ。

「カッコイイ」

それほど破壊シーンが臨場感があり、何度も見返したくなるのだ。怪獣映画で描かれる怪獣は恐ろしいと同時にカッコイイのだ。

初代ゴジラが上映された当時、政治に反感があったらしくゴジラが国会議事堂を破壊すルシーンでは観客たちは大喜びしたそうだ。観客たちにはわかっていたのだ。

怪獣というものは混沌と無秩序を市民にもたらす「悪のヒーロー」なのだ。これはターミネーターで警察や銃器店でターミネーターが殺戮を起こしたシーンでアメリカの観客たちが大いに沸いたのと同じ理由だろう。ここでのゴジラは後のターミネーターなのだ。ゴジラとは観客の歪んだ欲望をかなえる悪のヒーローなのだ。この映画は悲しいことに破壊は恐ろしいのだが、同時に爽快なのだということを描いてしまったのだ。

だが、この映画のいいところは破壊と虐殺が起きれば当然被害者はでるし、何より苦しむのは市民であるということを描いている。

破壊と虐殺は当然、楽しいことではないということを観客に理解させてしまうのだ。映画の中で事実被害者が続出しており、観客は今までの破壊シーンを楽しむと同じようにそのあとで死んでる人がいるのだとわかってしまう。観客を破壊のスペクタクルに浸らしたあと、現実に戻してしまう。

そして、ゴジラの最期だが悲しむ人がやはり多かったらしい。ゴジラはターミネーターとは違う、現代社会に生き残ってしまった最後の古代生物という側面もある。キング・コングしかり、フランケンシュタインの花嫁しかり、大アマゾンの半漁人しかり怪獣の悲劇的な結末は大昔から約束された大オチである。怪獣は反社会的な存在だ、現代社会では生きている価値がないのだ。観客はそこに大いに悲しんだのだろう。

観客を楽しませ、怖がらせ、歪んだ欲望をかなえ、最後には悲しませる。そして観た後でも観客に様々な解釈を与え、観た後でも知的な娯楽を与え続けるという観ている最中でも観終わった後でも楽しめる豪華な娯楽映画なのだ。97分の間にここまでこんなに濃いストーリーと破壊のスペクタクルを描ききる器量、やはり本多監督というのはただものではなかったのだなと感心させられる。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)荒馬大介[*] Bunge[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。