[コメント] ハウルの動く城(2004/日)
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宮崎駿は老人の作画が芳しくない。全体の画調から浮いている。本作はそこにマニエリスムっぽい城の細密描写が加わる。野菜の組合せで顔画いたアルチンボルドが想起されたりする(後半の荒地の女王の崩れた顔もこれにタッチが似ている)。画のタッチが三つに分裂していては完成度は低くなる。しかしそんなこと、作者は百も承知で、画きたいこと好きに画いていらっしゃるのだろう。
さらには話も相当に無茶苦茶。魔法で老婆にされたのに元気いっぱいなソフィーの造形からしてリアリズムに反しているし、若返ったり年取ったりを繰り返すソフィーは、魔法が解ける山場へ向かう古典的なファンタジー手法を放棄している。若い頃に出逢っていたふたりという動機付けは取ってつけたようで(これは『カリオストロ』以来だが)、キスされた案山子が美男子に戻る定例パターンもソフィーにフラれて霧消する。
これはもう、ファンタジーの定例パターンに厭きた、という表明に違いない。名監督はしばしば老境に至って無茶苦茶を始める。宮崎監督も本作でこの境地に至ったのだろう、好きにやっているぜという狂気寸前のほくそ笑みが伝わってくる。後半、ソフィ―が城の崩壊を知りながら炎の悪魔を城の外に連れ出す展開などあり得ないもので、作者が城の崩壊の描写をしたいから、という動機以外考えられない。そしてそれは実に愉しく描写される。
シュールな案山子、外へ出る度に鬚を生やすマルクルのナンセンス、炎の悪魔の饒舌が愉しく、城の改装がソフィ―の職場になる件は驚きがある。ギャグは洋風でバタ臭くいつもの和風の味がしない。東欧あたりの凡人の知らないアニメの反映なんだろう。さすがの抽斗の多さだと感動させられる。
本作は倍賞千恵子ファンクラブによる若きチコちゃんもう一度の倒錯したニュアンスがあり、ラストの彼女らしい唱歌のような主題歌の歌唱で極まっている。これはファンには心地よいのだが、何か中途半端なのはソフィーが倍賞に全然似ていないためだと思う。加藤治子の魔女の親玉は顔まで本人にそっくりで爆笑もの。せっかくだからソフィーもそうしてほしかった。画のタッチがさらに分裂するかも知れないけれど。
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