[コメント] アメリカ(階級関係)(1984/仏=独)
アメリカ映画では、例えばドイツを舞台にして登場人物全員がドイツ人であり、にも関わらず(と云うべきか当然ながらと云うべきか)登場人物全員が英語をしゃべる、なんてことは当たり前にあるわけで(こんな例は本当に無数に見てきたわけで)。
本作が、アメリカを舞台にして、ほぼ全ての登場人物が(フランス人もアイルランド人も)、ドイツ語をしゃべる、ということを奇異に感じるのは、何か強く後ろめたい感覚も持つのだが、しかし、この奇妙さを突き付けるのも、本作の一つの題目なのだろう。
また、普通の商業映画であれば、当然に優先される経済性のプライオリティがあやふやに感じられる部分も面白かった。例えば、それは、前半の船上の火夫にまつわるシーケンスで、アメリカ国歌がオフで流れてくる場面。しかもフルコーラス、静止したような画面で聞くカットを指している。他にも、アメリカ上陸後の建物の仰角移動カットだとか。エンディングの、列車の窓から見える、川のある風景がえんえん映っている部分もそうだ。あるいは、カット尻が異様に長いカットは多数ある。例えば、主人公は、伯父さんの友人宅に一泊することになるが、最初に庭で、娘を紹介される場面の、人が、はけた後の空ショットの長さなんて、この後の展開を予感させる、不穏な感覚を持つぐらい長い余白なのである。
全編端正で間然することのない構図のモノクロ撮影だが、カットで特筆すべきは、主人公がホテルのエレベーターボーイとして雇われた後の、スタフ(秘書)の女性との窓を背にした会話シーン。こゝだけ唐突なドリーがある。あと、腐れ縁の友人2人(フランス人とアイルランド人)と歌手の女と4人でバルコニーに佇むカット。このカットの構図は絶妙だ。
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