[コメント] ブルーベルベット(1986/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ヒッチコック作品のどこかで見たような、幻のように暗闇から浮かび上がって登場するヒロインは、本来なら、この世のものとも思えないような、妖しくも完璧な美しさが無ければならない筈。ローラ・ダーンでは正直キツい。まあ、映画の中の女が美しく見えるのは妄想だ、という皮肉を込めたのだとも、とれなくはないけど。
この映画は、主人公が日常・平和・幸福・光の世界から、異常・暴力・陰惨・闇の世界に一歩、足を踏み入れる物語。イザベラ・ロッセリーニの妖艶さが、闇の世界の官能と耽美を象徴している。となると、この麻薬のように危険な魅力を放つイザベラ・ロッセリーニ=ドロシーの美しさに対し、ローラ・ダーン=サンディの、健全な爽やかさと、平均的で凡庸な容姿とは、意図的に対置されたものなのかも知れない。主人公のジェフリーは、狂気の愛と、平穏な愛、どちらを選択するか?と、その辺りにもサスペンスを持たせようとしたのかも。彼は、単に好奇心や正義感に駆られて素人探偵を買って出ているのか、或いは背徳の悦楽に魅入られた人間なのか。考えてみれば、そもそも彼の探偵行為は、映画的にはお約束の行動だとしても、それ自体が犯罪的なのであり、実際、他ならぬサンディ(日常性の象徴)にその事を指摘されているわけだ。
光と闇、という事で言えば、ラストは独特な余韻を残す。天国のように穏やかな、平和で明るい日常、その窓辺に留まる愛らしい鳥。だが、その口には、気味の悪い虫を咥えている。この場面からは、暗く長い迷宮を抜けた恋人たちに訪れた、闇からの解放を見る事は出来るけれど、それと同時に、光の世界に紛れ込む、小さいながらも不気味でおぞましい一面もまた、表されている。鳥の留まる窓辺とは、内と外を隔てる壁=境界に空けられた穴であり、それはつまり、この映画の最初の方に出てきた、切り取られた耳の、暗く小さな穴とのアナロジーがある。そしてこれらは、誰もが抱える開口部でもあるのだ。
サディズム、マゾヒズム、窃視症、フェティシズム、と暗黒面のエロスが重要な要素となるこの映画。題名の‘Blue Velvet’というのも、青黒い女陰を意味する隠語だとかいう話を、確かどこかで聞いたな・・。となると、切り取られた片耳もまた、あの形状からして、そういう事を意味していたんだろうか?
エロティシズムという点で僕が気になったのは、ドロシーがドアの向こうで「愛してるわ」と訴える声が聞こえる場面。そこでジェフリーが抱いたであろう嫉妬は、フランク(デニス・ホッパー)の異常な行動に表れていた感情と、どこか共通するものがあったのではないかな、と感じる。そして、その感情を介して、ジェフリーとフランクの間には、奇妙なホモセクシャル的関係が存在した・・なんていう風に、ちょっとフロイトっぽい深読みをしてみるのもまた楽しい。そう思って観れば、口紅を塗ったフランクにジェフリーがキスされてしまう場面もある事だし、しかもそのすぐ前には、オカマ男も登場していた。まぁ、映画や小説や何かを深読みして「ホモセクシュアルな関係」を指摘するのって、評論家かぶれの人間が賢しげな事を言う際の常套手段の一つでもあるし、自分で書いていて、多少、微妙な気分にならなくもないんですが・・。
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