[コメント] パッチギ!(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
本作の自由人オダギリジョーを康介が特別視していたように、当時の日本人一般の若者にとっての青春が、ある程度画一化されていたのはおそらく事実だと思う。それでもまだ日本人には選択肢があったわけで、朝鮮人の若者と比較すると恵まれていたのも事実だろう。在日朝鮮人にとって、日本人に負けること、日本人に譲歩することはプライドが許さなかったのであろう。それが攻撃的になったということかもしれない。
この辺り、1世代あとの私は想像することしかできませんが、今でこそあまり聞かなくなった在日朝鮮人に対する諸々の噂も、小さい頃は普通に植え付けられていたわけで、振り返れば、何事にも「どうして、どうして?」と疑問を抱く少年時代を送った私が、全くその疑問を口に出さなかったのは、それだけ社会に根付いた問題だったのだろう。
それにしても、本作のアンソンとその仲間達は驚くほど喧嘩っ早いので、随分と判りやすい朝鮮人像、ていうより、むしろ日本人と変わらないじゃん、と思ったが、これが在日朝鮮人一般の若者に通用したかというと、そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、よく判らない。ただ、創り手の意図はそういうことなのだろう。
アンソンのパッチギ(頭突き)に応える日本の愚連隊の描写は、負けた場合、勝者からの惨い仕置きがあるものの、お互い同じ土俵で喧嘩しているわけで、私的には朝鮮人を敬遠しない愚連隊の描写は(語弊を恐れずに言うと)好感が持てるし、血を交えながらも一種の対話が成立していたようでかなり驚き。
キョンジャに惚れた康介にとってのフォークは云わばパッチギなわけで、これも対話といえるだろう。それ(フォーク≒パッチギ)をそのまま、スタジオの大友さんが保守的マネージャに鼻血をたらしながらやったのには笑いました(←写ってなかったけどそういうことなのでしょう)。
ここまでは単純明快なストーリーだったが、ラスト間際の葬式で康介が追い出されたエピソードで、対話が如何様にも成立し得ない在日朝鮮人問題の根の深さをしっかりと描いていた。
ラスト。康介のフォークソングをバックに繰り広げられる数々のドラマ。そしてキョンジャは康介のところへ赴く。こんな恋愛話、好きです。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (10 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。