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[コメント] アビエイター(2004/米=日=独)

お尻をぷりぷり出していたので、今作においてはディカぷりオと表記することに決定しました。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「死ぬときは前のめりで」とか「攻撃は最大の防御なり」とか、非常に前時代的なマッチョイズムだとは思いつつも、僕らの中には「進み続けること」が美徳であるという観念が強く根付いています。僕らはそれに照れを感じつつも、やはりいつもどこかで「前に進み続ける男」でありたいと願い、あわよくばそれを実践する機会を狙い続けています。いや、男に限った話ではないのですが、やっぱりこのマッチョイズムとセンチメンタリズムってどちらかと言えば男性寄りの、良く言えば美徳、悪く言えばナルシズムだと思うわけです。

 だけどその前進を立ち止まらずに続けること、それはそれで大変に苦しい行為です。「進むこと」よりも「進もうとする意志」の方に意義を見出してしまった瞬間、それは己の弱音を禁じる行為と化してしまうから。「弱音を吐く」行為が、「進もうとする意志」と正反対の行為である以上、彼は何があっても笑って進み続けなくてはならなくなるんです。「前へ!もっと前へ!」。だから彼は弱音を吐かないんじゃない。吐けないんです。

 そんな彼の安らぎはキャサリン・ヘップバーンにありました。彼女の存在自体が彼の弱音を解消してくれていました。でも彼女にとっての彼は安らぎではなかった。弱音をこらえて24時間闇雲に進み続ける男など、決して相手の安らぎにはなりえないんです。そして彼女が彼の元を去った時、それまで彼女が解消してくれていた彼の「弱音」が澱となって彼の中に沈殿し始めたんです。静かに確実に蓄積を重ねていったその澱は、外部からの攻撃で彼の心にヒビが入った瞬間に濁流となって彼の中から流れ出します。その流れに押し流されたのは「彼自身」。それでも彼は空っぽの心の中で「前へ!前へ!」と叫び続けます。自分を肯定することだけが最後に残された自己維持のための砦であり、その肯定作業とは前進することに他ならないから。

 映画ではここで救いの女神とも言えるエヴァ・ガードナーが現れることで、彼は何とか前に進む力を取り戻します。彼の前進は彼自身の肯定と安定に繋がり、その車輪はまた回り出すことができるようになります。そして更なる安定のために、彼はまた叫ぶんです。「前へ!」

 迷い無き前進は、それを阻む者がいないうちは快適に進みます。だけど人生には必ず障壁がある。その障壁を越えるときに心が発する「弱音」は、自分なり身近な人なり、必ず誰かが背負っているんです。ましてやアメリカンスーパーヒーローですら苦しみ、悩み、迷う現代という時代において、にこやかに全てをクリアしていくヒーローなど最早過去の遺物でしかありません。そう考えると、己の弱音を人に背負ってもらうことが出来なくなっても尚、まるでそんな弱音などないかのように高らかに前進を叫び続けるヒューズこそが、現代的視点から見た前時代ヒーローの真の姿なのかも知れないと思いました。本当はもっと弱音を吐いても良かったのに、彼自身が彼にヒーローであることを課したが故に、己が破壊されるまで戦わなくてはならなかった。その勇気、見栄、虚勢。本当なら愛する人と弱音を分かち合う道が正しいとは思うのですが、それでも尚己一人で戦い続けた彼に勝つことは容易ではないです。

 こんな重苦しい話を、割と軽くエンターテインメントの延長線上で見られてしまったことは、恐らくレオナルド・ディカぷりオの存在感の軽さにあるんだと思います。演技の上手下手は僕にはよくわかりませんし、熱演は間違いありません。ただ、その存在感が物語全体を軽くしてしまい、反面非常に受け容れやすくしていることも確かだと思います。これは本当に良くも悪くもです。

(評価:★3)

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