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[コメント] 戦国自衛隊1549(2005/日)

最新の実戦装備、リアルな発射光。とにかく本物の自衛隊の特殊車両やヘリが出てくるだけでよい
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







…という人にならいいのかも。ミリタリーものの門外漢にはわからない凝ったところもあるのだろう、きっと。そうとしか考えられないくらい、ドラマや戦闘シーンがなおざりにされてるかのようにつまらない。

ドラマにおいては、脚本上では描こうとする意志がかろうじて感じられる登場人物のマインドを、監督が汲み損なっているような感じだ。的場は戦国時代に飛ばされたことで、最初は指揮官として現実的な対処をとろうとするが、やがて「ここに来たのにはわけがあるのではないか」と自分の運命という視点から物を考え始める。そこにかねてからの「自分が守るべき国家のあり方」の理想と結びついてあのような行動をとる。そういう説明が自らの台詞で説明されるが、そういうふうに思っているように見えない。指揮官としての判断(救出の可能性の有無=部下や部下の家族の将来)を考えながらも、諦念、絶望、苦悩の末に考えの方向転換をし理想の国家建設という狂気の信念の持ち主へ自らを変貌させる。そういう複雑な心情や覚悟を感じさせない。やけに淡々としているが、考えぬいた末の悟りの境地という風でもない。完全に狂っているのでなければ、もともと指揮官だった人間なりの人間の格を描写できないと、設定が腰砕けになってしまう。神崎二尉は自らの軽率な判断で多くの人の運命のみならず歴史そのものを狂わせてしまった、この一連の狂乱の生みの「母」である。すべてのミッションが終わったあと帰還途中のヘリの中で鈴木京香は虚無な表情を見せるが、それはまさに殺人鬼を生み育ててしまった母親以上の心情なればこそだ。しかし、監督自身があまりそこにポイントを置いていないように感じる。七兵衛は己の信念のままに生きようとし、現世の平成とそこに生きる人々を尊重する道を選んだ。ならば的場の価値観と真っ向対峙する図式が用意されているのに、その異なる信念同士の対決のドラマは描かれようとしない。そして三国を中心とする主役であるはずの戦国自衛隊員たちは、的場をまさに平成の国土を亡き者にしようとする敵と見なした時点で、自衛隊員の信念をもって戦って欲しかったのに、その心情を描かれることがほとんどなかった。万事がこんな調子だった。

また戦闘シーンのほうでは、「近代兵器対武士」という「戦国自衛隊」の生命線が失われ、「砦攻略」というおいしい戦闘場面でも、そういうものならではの工夫も見せ場もなくただ戦っているばかり。最後の天守閣での対決は、強固な防衛陣を戦略と仲間の犠牲でもって、なんとか鹿島一人を突破させるというシチュエーションであって欲しいのに、あっさり昇ってきちゃう。藤吉郎の乗る戦車の本丸突入シーンは、三国のスローモーション描写による死の余韻を完璧にぶち壊す、物凄く悪いタイミングでの編集となっているが、こんなのは「本当にこれでいいんですか?」と監督に尋ねたくなってしまう。藤吉郎が朝勅を掲げて的場を討伐するなんていうのも、辻褄あわせにも何にもなっていなく、もはやタイムスリップものの醍醐味すらなくなってしまう。つまり(コメントへ戻る)。

(評価:★2)

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