[コメント] スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐(2005/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
映画という文化をどう捉えるかは多種多様である。エンターテイメント、芸術・アート、主義・主張、史実の記録、政争の道具・・・、人によって、その捉え方は千差万別である。
作り手にとっての映画も多種多様だ。2時間前後の枠の中で平面スクリーンを使って映像を映し出すという基本ルールは同じであっても、作り手の趣向によって、映画のテイストは様変わりする。スティーブン・スピルバーグにとっての映画はおそらくエンターテイメントであろうし、マーティン・スコセッシにとっての映画はリアリズムと言えるかもしれない。芸術性を追求する人、メッセージ性を色濃く反映させる人、はたまた商業性を重視する人と、これまた千差万別である。
では、ジョージ・ルーカスにとっての映画とは一体何なのだろうか?
色々な観方がある。が、私は彼にとっての映画はサイエンス、でなければエンジニアリングなんじゃないかと思う。彼の映画は言うまでも無く実験的なものが多い。それは、処女作『THX−1138』を観てみれば良く分かる。低予算ながら、当時の技術で、一体どうやって撮ったのかと思うような映像が詰め込まれている。正直、ストーリーは面白く無いし、エンターテイメント性も高いとは言い難い。ただ、最初から最後まで技術的な野心に満ち溢れている。今やデジタル技術(CG)の進化により、映像表現できないことの方が少なくなってしまったが、この映画で見せた真っ白な空間やジェットカーとバイクの壮絶な追走劇など、斬新な映像の革新性は、当時の業界を1歩も2歩もリードしていたに違いない。
では、彼にとっての『スター・ウォーズ』(以下、SW)とは一体どんな存在なのだろう?
かつて、故本田宗一郎氏は、「レースは走る実験室」という言葉を好んで使ったそうだ。コンマ何秒という単位のタイムを縮めるための技術競争で凌ぎを削るレースこそ、技術やそれ生む技術者を鍛錬する格好の場であるという意味だろう。ルーカスにとってのSWにも同じことが言えるのではないだろうか。
SWとは、ルーカスにとって、まさにこの実験室なのではないかと思う。
思い起こせば、旧3部作(EP4-EP6)は、当時SFX(Special Effectsの略。映画制作における特殊撮影技術、特殊視覚効果技術、あるいはそれら特殊効果の総称。)と呼ばれていた技術の見本市ともいえる作品だった。特殊メイクに始まり、精巧なミニチュアモデルから実物大の大型モデル、特殊な材質を使った着ぐるみ、ドロイドやモンスターの操演、マットペイント、火薬、電飾効果など、この3部作で昇華した技術は多い。
SWは、ストーリーの持つエンターテイメント性も無視できないが、当時子供だった私には、とりわけ、このSFXの凄さとカッコ良さの虜になった。そして、間違い無く、ここで培った技術が後の『インディ・ジョーンズ』シリーズなどの成功の土台にもなっている。ルーカスの車がSWで、そのエンジンがSFXと言っても過言ではないだろう。
さて、旧3部作(EP4-EP6)が当時SFXの実験場だったとすれば、本3部作は言うまでもなく、CGを始めとしたデジタル技術(VFXとも言われる)の実験場である。そして、本作EP3はその集大成とも言える。
今から6年前、EP1で鳴りモノ入りでSWに登場したCGは賛否両論で、いきなり論争の的となった。論争の焦点は「模型や人によるライブアクション映像を取るか、CGによるアニメーションを取るか?」という点に集約される。CG賛否の議論はさておき、EP1から始まる新3部作に、この技術が大きな変化を与えたことに間違いは無い。
賛否が分かれたEP1の象徴的なシーンに、クイーン・アミダラ(ナタリー・ポートマン)の専用船ロイヤル・スターシップのシーンがある。クロームメッキの鏡面仕上げで滑らかな流線型のボディを持つこの宇宙船の映像は、ほぼ100%CGで作成されているそうだ。逆に言えば、CGが無かったら、クローム・ボディに映り込んだ周囲の光景まで完璧に表現することはできなかったと思われる。
最初にこのシーンを見たとき、私も大きな違和感を覚えた。なぜなら、ロイヤル・スターシップの滑らかなボディは、旧3部作の世界にあった宇宙船のデザインのどれにも当てはまらないからである。ファルコン号、Xウィング、TIEファイターなど、旧3部作で登場した宇宙船は、基本的に球と多角形を組み合わせた形が基調となっている。また、ボディには細かい線があり、光沢が無く、薄汚れたウェザリング塗装が施されていたりするのが、旧3部作に登場するメカの特徴だった。
それが、EP1ではヌメヌメした流線型ボディの船が主流になった。旧3部作には登場しないこの様なデザインが多用されたのには理由がある。考えてみれば当たり前だが、モデリング技術には限界がある。もし仮に旧3部作で、ロイヤル・スターシップのアイデアがあったとしても、あんなに綺麗な映像は撮れていないだろう。少なくとも、ボディに周囲の光景が映り込むような映像は撮ることはできなかったと思う。作れないものは映像化できない。考えてみれば、当たり前のことである。
CG技術の進化によって、造形の制約は殆ど無くなった。頭に浮かぶアイデアは、殆ど映像化できるようになった。それが、幸か不幸か、ロイヤル・スターシップの様にデザイン・トレンドにも大きな変化をもたらしたのである。最初は違和感を感じたものの、今になってみると、私はこの変化を大いに賞賛したいと思っている。確かに旧3部作への思い入れはあるが、CGよりもライブアクションの方が良いなどという議論は非常に低レベルだ。
改めて言うが、ルーカスは決して予算や時間の制約からCGを多用したわけではないと私は思う。CGという可能性を秘めた革新技術があり、それを使って映像を作るのなら、CGでしか成し得ない表現を追求しようという気持ちは、クリエイターとして当然のことだ。EP1では、ジャー・ジャー・ビングスといったCGでの失敗例もあったが、とにもかくにも、ルーカスは”CG技術による映像革新”という大きなチャレンジテーマを掲げ、新3部作の実験をスタートさせた。
続くEP2では、ハイライト・シーンにおけるCG映像の割合が急増した。特に興味深かったのは、ヨーダとドゥークーのライト・セイバーによる壮絶な闘いである。物凄いスピードでクルクル動き回るヨーダは、もちろんフルCGだが、この映像を着ぐるみやフィギュアで撮れただろうかと考えると、無理に近い。もし仮に撮れたとしても、ここまで迫力のある映像にはならなかったはずだ。このシーンやドロイド軍団とジェダイ騎士との激闘シーンに代表される様に、EP2では、映画を盛り上げるシーンにCG映像が不可欠となった。実験は第2段階に達したといえる。
そして本作。冒頭から、宇宙空間での派手な戦闘シーン。EP1では違和感のあったメカニカル・デザインも、EP3では完全にSWのスクリーンに溶け込んだ。以前はいい加減だったメカのディティールが木目細かくなり、動きも自然になった。CG技術はまた一回り進化を遂げたようだ。圧巻はアナキン(ヘイデン・クリステンセン)が、致命的な損傷を負った巨艦インビジブル・ハンドを、不時着させるシーン。コルサントのプラットホームに不時着する巨体を正面から捉えた映像の迫力感は、CGだと分かっていても、圧倒させられた。CG技術への拘りが見事に虚構と現実のギャップを埋めた瞬間である。
その後も、ウータパウでは、大トカゲの様なモンスター、バラクティルが所狭しと駆け廻り、ウーキー族の故郷キャッシークでは、ターボタンクやAT-RTウォーカーが水辺で激しい地上戦を繰り広げる。驚くことに、ここで登場するメカは旧3部作のデザイン系譜を色濃く反映したものになっている。旧3部作のメカの様にやや角ばったデザインで、ボディに傷やウェザリングが施されている。EP1では考えられなかった映像だ。そして、元老院議会では、再びヨーダが銀河皇帝(イアン・マクダーミド)とライト・セイバーによる死闘を繰り広げ、火山の星ムスタファーでのクライマックスへと物語は進む。沸き立つ溶岩を背に、オビ・ワン(ユアン・マクレガー)とアナキンのライト・セイバーが激しくぶつかり合う。咽る様な熱がスクリーンから伝わってくる。こんな映像が表現できるのも、CG技術が格段の進化を遂げたからに他ならない。両足を切り取られ、溶岩流に落ちながら炎に包まれていくアナキン最後の映像も、デジタル処理無しでは成し得ないものだ。
かくして、新3部作は幕を閉じ、第2実験は終了した。今、EP1の映像を観ると、EP3には明らかに見劣し、その滑らかさには隔世の感がある。途中、ルーカスは、CGを使って旧3部作を手直しするという荒業に出たりもしたが、様々なディジタル技術のトライによって映像は進化し、最後にはそれらの技術を完璧に手中に収めた気がする。言うまでも無く、この実験は成功だったと思う。私はジョージ・ルーカスという人の技術屋魂に、大きな拍手を贈りたい。
ルーカスの第2実験は成功した。ただ、気になるのは第3実験があるのかどうかだ。
ルーカスは、EP7以降の話を作る気は無いと、ことある度に言っているが、果たしてそれは本心だろうか? 私は完璧主義者の彼のことだから、いつか絶対に作ると思っている。ただそれには、CG以上の映像技術革新が起こることが前提だと思う。
EP1を作る前、彼はこんなことを言っていた。「現在の技術ならEP1の構想を映像化できると判断した」と。私には、何年か後に、EP1の部分をEP7に変えて、全く同じことを言っているルーカスの姿が目に浮かぶ。ルーカスをやる気にさせる映像技術が一体何なのか、今は想像もつかないが、第3実験が華々しく幕を開けることを祈って、しばらくの間静かに待とうと思う。
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