[コメント] モディリアーニ 真実の愛(2004/米=独=仏=伊=ルーマニア=英)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
音楽の過剰にメランコリックな俗っぽさには目を瞑るにしても、ジャンヌの魅力の無さは致命的。写真で見た実在のジャンヌは、眼に力が宿り、内側からの雄々しいほどの気迫と、透明な狂気と神秘性を感じさせる美しさを持った女性で、絵の才能にも恵まれていた。この映画で彼女を演じたエルザ・ジルベルスタインは、神経質で線の細い元画学生、という以上の印象が感じられず、存在感が軽すぎる。そのほっそりとした容姿には、モディリアーニの描く女性像を連想させられなくもないのだけど、彼の理想の女性像として描かれていたとも見えず、恋人にして同居人、という以上の何も無い。映画の冒頭と終幕を彼女の独白でまとめている割には、本編では彼女にはそれほど焦点が合わされておらず、むしろ、殆ど露悪的でグロテスクとも言える人物造形の為されたピカソの方が、捻りが利いていて面白い。
夜の街を楽しげに歩くモディリアーニとジャンヌの姿や、火花を散らせて走る路面電車、ルノワールとの邂逅、更には最後のジャンヌの投身自殺など、もう少し詩的な映像として撮れないものなのか?少し狭く絞りすぎているような画面設計に対しては、敢えて文句をつけないで観る事は出来るが、画家達の群像劇という面が最も強いこの映画が、視覚的な愉しみに乏しいのは残念。モディリアーニが雪の降り積もる歩道に倒れていると青い雪が降るのは、モディリアーニの手についた絵の具で彼の画家としてのアイデンティティを見せていたのと同じような象徴性が多分あるのだろうけど、映像として全く美しくなく、むしろ小賢しい。
ジャンヌとの関係は、本来は、類稀な才能を持った若い男女の激しい愛が描かれて然るべき所を、経済的な問題を巡っての諍いという矮小化された劇に落としてしまう。画家仲間達との愛憎入り乱れた群像劇はそれなりに見応えがあったものの、経済的に、或いは社会的地位という面での成功を得た芸術家を貶めるような、ルノワールやピカソの人物造形には、かなり疑問を感じる。ピカソはまだしも、ルノワールは、多少は大御所としての奥行きが与えられてはいるものの、殆どただの成金ジジイにしか見えない。そのくせ、ルノワールが、夜の街で踊っていたモディリアーニの姿をいつまでも記憶に留めていただとか、ピカソが死の際でモディリアーニの名を口走っただとか、モディリアーニの芸術家としての価値をそれ自体として描き得ず、この二人の言葉に依存させているというのは何なのか。モディリアーニが成功を手にしかけた途端に強盗に襲われて死ぬ、という因果応報話のような下らない脚本にも白けさせられる。
それと、あの幻の少年。モディリアーニ以外の誰にも見えないその存在は、モディリアーニの孤独と、内心の安息所のような象徴性が感じられてそれなりに効果を上げてはいるのだが、ここはジャンヌにその役割を宛がうのが当然ではないのか?彼女は単なる狂言回し、或いはそれ以下の役割しか持ち得ていない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。