[コメント] ヒトラー 最期の12日間(2004/独=伊=オーストリア)
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ドイツ語書サイトで検索しました。私のドイツ語力は0ですが、単語レベルなので間違いないでしょう。
原題は必ずしもヒトラーに焦点が当たっていない。ユンゲが秘書に採用された後、ナチス帝国の隆盛期についてのエピソードは全く触れることもなく、描かれるのはいきなり戦況が絶望化した後である。しかも、ヒトラーの自決後もストーリーが展開している。やはり、この映画は人間ヒトラーを描くことを目的とした作品ではないのだと思う。ヒトラー自身については描いてはいるが、あくまでも舞台装置の一つという位置づけだろう。
この作品で描きたかったことは、敗北が決定的な状況において、精神的に均衡を失ったヒトラーの取巻き連中の素の姿なのだと個人的には思っている。ヒトラーの傍らに居る存在であれば、もはや戦況は絶望的であること、ヒトラーにはもはやカリスマ性もなく正常な判断力がないことも分かっている。それでも程度の違いはあれど付き従う彼ら・彼女らの姿が描かれている。自分なりの義務感の上でと線引きしている者もいれば、明らかに思考停止している者もいる。ヒトラーの自害を知った後に、妄信的に後を追う者がいる。それは、第3者的に見れば不必要に思える自害であろう。
確かに世界が変わることを受け入れるのは苦しい。だが、それを受け入れて精一杯もがくのが社会に携わる個人としてのあり方なのだと思う。日本人が何かと持ち出す滅びの美学というのは、聞こえは良いが、変わる現実を受け入れらない精神的な弱さの裏返しでもある。日本の映画・ドラマで描かれる自決のエキセントリックな表現に対して、個人的には強い違和感を感じている。
生きていれば、何かみつかるよ。半分壊れかけの自転車かもしれないけどね。そんな小さなことでも、生きていればこそなんだよ。
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