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[コメント] ヒトラー 最期の12日間(2004/独=伊=オーストリア)

未来を見据え、かつ現実を見つめながら人々を導くことが政治家の責務だとしたら、12日の間ヒトラーには何が見えていたのだろう。彼の最期の12日間とは、全てのドイツ国民にとって未来どころか、「今」すら見えない停止した時間だったはずだ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







降り注ぐ砲弾の下、国家のリーダーから末端のベルリン市民までが成す術もなく徐々に思考停止状態に追い詰められていくさまは痛々しく悲しい。

ことの成否は別にして、ヒトラーは自ら思い描いた強権国家の中に理想のドイツを確かに「見た」のだろう。では国民は何を「見た」のだろうか。理想を熱く語るヒトラーを「見た」。そして自らの未来を彼に託し追随した人々がいた。もう一群、ヒトラーと、彼を盲信する人々を「見て」見ぬふりをした多数の人々も存在した。結局、何かを確かに「見た」のはヒトラーだけであった。追随者も傍観者も実はなにも「見て」いなかったのだ。

総統司令部の地下に見えたドイツの縮図。すなわち、理想国家を「見た」ヒトラーと、ヒトラーを「見て」追随したナチの高官たち、それらを「見て」見ぬふりをしていたユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ラーラ)ら一般市民。リーダーが理想を夢見ることを断念した瞬間、追随者とその傍観者には諦めと戸惑以外、何も見えなくなったのは当然の帰結であった。

この縮図の中での、悪役や犯人捜しほど虚しいものはない。ただ、国家のリーダーでも何でもない私はユンゲの回想の言葉だけを心に留めて置くことはできる。「私は何も知らなかった。そして、私と同じ年に生まれたユダヤの少女が、私が秘書になった年に収容所で殺されたことを知り、始めてことの重大さに気づいた」

もちろん、自分の目で「見る」ことは大切なことだ。しかし、ただ「見た」だけで「知った」つもりになるのは危険なことだ。絶対に知られたくないことは、絶対に見えないところに隠されているものなのだから。

緩急を交えながらも絶え間なく続く極限状況の中に、渾然一体の意志として存在した狂気と正気。そして、狂気を失うことで正気の存在すら危うくしてしまう人間たちの12日間を、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督は2時間30分に凝縮して見せてくれた。

(評価:★5)

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