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[コメント] ヒトラー 最期の12日間(2004/独=伊=オーストリア)

とにかく、重厚でかなりインパクトのある作品だった。締め切った部屋で鑑賞したい作品。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本作を鑑賞したのは渋谷のシネマライズ。日本公開初日でした。ドイツ製作でヒトラーを題材とした稀有な作品であり、又、第一週はシネマライズの日本独占公開だったこともあり、劇場の外まで行列が続くほどの大混雑でした。私は、それを見越して数時間前から、とある映画の原作本を片手に最前列に並んだのが大正解でした。

これもやはりですが、マスコミ関係者も出口アンケートを取りに来てました。客層は意外なことに幅広く、自分と同じ世代(30代)が目立った。カップルや子供連れの家族までもいた。本作は劇場で2回鑑賞したのですが、2回目は大型シネコンだったので、シネマライズの空間(立ち見ありの混雑した空間)での鑑賞のほうが本作にはぴったりだと思いました。

さて、コメントをどう投稿するか悩みましたが、DVD化を記念して、率直に書くことにしました。

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本作への注目度が並々でなかったように、ヒトラーには誰しも少しは関心を持っていると思う。しかし、あまりに巨悪過ぎて、その関心をどう表現していいものか判らないのが、正直なところではないだろうか? 実際、ブルーノ・ガンツもヒトラーを演じることに一度は躊躇ったそうで、ヒトラーの正装でメイクされた自分を鏡で見て、これを出来るのは自分しかいないと覚悟を決めたそうだ。

本作は一人の女性ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)の視点をベースにヒトラーの最期を描いており、ナチス思想は遺言などの片鱗でしか顕れていない。片手落ちかと言うとそうとは言い切れない。ラストのユンゲ本人の言葉もあるように、ナチスが人類最大の罪だったのは言うまでもないからだ。 とは言うものの、当時ナチスの本性に盲目だったユンゲの視点に立ってはじめて、映画的に「ナチスに対するフィルタなしに」ヒトラーと側近の放つ空気を肌で感じられる作品にできた一面もあり、むしろ後者に依存した作品であることも否定できないだろう。

ヒトラー本人の人間性は、本作ではその翳りしか描かれていなかったので直接は判らないが、並み居る将校や秘書達の描写から間接的に垣間見ることが出来る。その一例として、誰の目にも敗戦が明らかな状況で、パーキンソン病が目立つようになり、強気の言論にも嘗ての精彩もなくなったヒトラーが本作の冒頭で発作的に「負けた」と泣き言まで言ったにもかかわらず、ヒトラーを“打倒”して和平をしようとする空気が全く起きなかったことだ。これは凄いことだと思う。 もちろん、本作で描かれたように、ゲーリングやヒムラー(ウルリッヒ・ノエテン)のように裏で保全を考え単独行動に出て失敗した人物もいるわけだけど、多くはヒトラーに付き従った。地下室での酒宴に彼らの想いが痛いほど伝わってくる。 きっと死なばもろともとの考えもあったと思われるが、以下に挙げるそんな彼らの顛末にヒトラーの人間性を見た。

本作では、ヒトラーに心酔したゲッペルス夫妻は異常な存在感を放っていたが、それは語り部ユンゲの視点に起因しているようであるが、実は地下室の状況から考えて当然な帰結と言えるかもしれない。ゲッペルス(ウルリッヒ・マッテス)といえばその雄弁たるやヒトラーに次ぐほどでナチスのプロパガンダをほとんど一人で推進した人物と言われている。ナチ的な敬礼を考えたのもゲッペルス。そのゲッペルスが本作では雄弁を振るわない。悲壮感が漂いながらもその表情は決意に満ちている。ゲッペルスは語らないことで、語っていたのである。

そして、ゲッペルス婦人(コリンナ・ハルフォーフ)の凄まじさ。本作のゲッペルス夫人は、ユンゲ、エヴァ・ブラウンを始めとした女性像の中でも、その役柄に相応しく、ずば抜けた存在感だった。他の並み居るドイツ俳優と比べても傑出した名演だったと思う。彼女は一家心中の痛ましい事実を重厚にこなした。

次にボルマン(Thomas Thieme)。ボルマンと言えば、ヒトラーが全盛時代に要求した無理難題をその豪腕で実現し伸し上がった人物である。ヒトラーがゲッペルスとボルマンに自分の死体処理を託したように最期までボルマンへの信任は厚かった。そのボルマンは本作ではほとんど台詞がない。終盤の陥落間近の報にうろたえるシーンもあったが、全編通してヒトラーの後ろにずんぐりと構えていた。本作で最もイメージ通りの人物であった。詳細不明なため本作では描かれていないが、ボルマンも自決した。

そして、ヘルマン(トーマス・クレッチマン)。ヘルマンの妻はヒトラーの妻となったエヴァ(ユリアーネ・ケーラー)の妹。ヒムラーの副官で、冒頭、ヒムラーの誘いを受けた人物である。ヒムラーと共謀したヘルマンは地下拠点から姿をくらまし、エヴァの命乞いの甲斐もなく、酒に浸っているところを逮捕され、ヒトラーへの忠誠の言葉とともに処刑された。 トーマス・クレッチマンは、ある意味、本作で一番人間味のある人物の殉死の姿を好演した。

その他、印象的な人物は、現場戦闘司令官モンケ(アンドレ・ヘニッケ)、医官シェンク(クリスティアン・ベルケル)、そして、建築家のシュペーア(ハイノ・フェルヒ)。この中でモンケとシェンクは脱出に至るまではユンゲとほとんど接点がない人物なので、単純にユンゲの回想録として観ると違和感があるが、客観的に陥落寸前のベルリンを多角的に描く事に成功しており演出上良かったと思う。彼らはいずれも死罪を免れた人物で、本作を観るまで知らなかった人物ばかりだが、彼らのヒトラーとの関わりも興味深い。3者3様ながらヒトラーと一線を画した人物として描かれていたようだ。

シュペーアはヒトラーに唯一反対意見を述べることが出来た人物と言われ、本作ではゲッペルスを除くほとんどの将校がヒトラーに避難を勧める中で「主役は最後まで舞台に」と進言したようにヒトラーの心情を察するシーンがある一方、女性(エヴァ、ユンゲ、ゲッペルス夫人)を労わる一面や「命令に背いて建築物を破壊しなかった」とヒトラーに明したように正直で一本気な一面が描かれていた。モンケは黙々と最前線の戦闘指揮をこなしながらもヒトラーに市民を巻き込まないよう訴え、シェンクは現場医療を重視する一方で、赤狩りを行うSSに反対したり、死にはやる将校に疑問を呈する人物として描かれていた。

このように、シュペーア、モンケ、シェンクの3人に、芸術、規律、医学と、今なお残るいい意味でのドイツ人気質をしっかりと描きこんでいる点も見逃せない(ただし人道的に描かれていたシェンクは、非人道的な人体実験を行った戦犯として戦後認定されているが、その一面はヒトラーと同じく本作で描かれていない)。最近の『男たちの大和』でも思ったことだが、邦画の戦争映画ではこのような描き方は、戦争美化と捉えられかねないし、そもそも今に残る日本人の美徳そのものが定かでないので、難しいだろう。

最後に思い当たったことは、退去を願い出てヒトラーに拒まれたヒムラー付の医官が頭に残る。絶望した彼は自宅の食卓で手榴弾により一家心中したが、ヒトラーが拒んだのは、後に現場から別の医官を呼び寄せたように、自分の最期のために医官が必要だったかのようである。

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余談ながら、本作はimdbでも歴代46位(2006年1月現在)とかなりの高評価を得ています。

(評価:★5)

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