[コメント] 姑獲鳥の夏(2005/日)
ウスメの夏。
映画をご覧になった方、また原作を読まれた方ならおわかりでしょうが、京極作品の謎は、実に他愛ない。
「えっ、そんなオチでいいの?」ということばを制するのが、京極堂の長広舌であり、榎木津の奇矯であり、関口の気鬱であり、木場修の・・・、いや、木場修はこの際いいか。
とにかく、原作者は作中にありとあらゆる舞台装置を施して、事件をデコレートしている。 一見不要に思える場面や会話も、事件を粉飾するための道具であり、読者は登場人物の言動に眩暈を覚えながら、いつまでも終わらない物語を楽しんでいるのである。 それをあなた、映像化のためにストーリーをすっきり再構築してしまったら、そこに残るのは惨めな骨組みだけに決まってるじゃァないの。
京極作品を映画化するなら、ハッタリでもいいから上映時間4時間のシナリオを用意すべきだった。
また本作には、原作者京極夏彦も特別出演をしているが、原作どおりの役どころなら、世話人である明石散人に扮するのがスジである。 実際は、もっと一般になじみが深い別の役で登場することになったのも、本作の薄さを象徴している。 (しかもエンドクレジットでネタばらしをする無粋さ! こういう楽屋オチこそ、劇中で処理できないものか)
どなたかも書いていたが、実相寺監督作品としては決して失敗作ではない、というのが、もっともツライ。
原田知世は、今までお姫様しか演じてこなかったツケが回ってきた。双子の演じ分けどころか、回想場面も何もかも同じ芝居でメリハリがない。
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