[コメント] 空中庭園(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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そしてそこに自分自身が持ち得る負の因子を見出すと、自己否定を恐れるわが身は、その矛先を当然のことのように親に向けてしまう。
表面的には親と言う存在を否定せずとも、根底の部分ではその存在に対し疑念を抱いている人は実は多いのではないかと思う。そして表面的にはいつも笑顔でいても、根底の部分ではあのコンビニでの主人公のように、阿修羅の部分をも持ち得る自分自身に心底嫌気がさしている人も実は多いのではないかと思うのだ。
そんな人々にこの映画は問いかける。親とは、そして家族とは何かと。そしてそんな問いに対するひとつの答えとして、最後主人公は自らの空中庭園を血で洗い流し、自らの心の鍵をも開け放つ。そして家族は、ERIKO'S ROOMであった団地の一室に、真の我が家を見出そうとする。
私にはあれが正しいラストであるのかどうかはわからない。というか、この映画に正しいラストというものがあるのかどうかすらわかっていないというのが本当のところだろう。正直、真にこの世を生きていく中では、この映画に描かれた結末だけが全てではないこともわかっている。
ただ、どのような形であれ、何かしらの希望をもとにこの映画が終わったことはよかったと思う。少なくとも、あの雨のベランダから主人公が真の笑顔でその姿を現すというあの画からは何とも言えぬ安堵感を得た。
末筆ながら、豊田利晃に関しては、その独特の感性による画遊びには感心しないところもあったが、少なくともちゃんとした物語が撮れるという点においては稀有な存在だという感を抱いた。
あと役者への信頼という面に関しても特筆すべきものがあると思った。小泉やさすがの大楠はもちろんのこと、チョイ役ながら圧倒的な存在感を示す永作なんかの使い方も見事だった。
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