[コメント] みやび 三島由紀夫(2005/日)
良く知られているように三島由紀夫は行動家、作家の2面がある。行動家としての三島は文武両道(決意したことを命がけで実行することの意)を重視し、「狂」な行いを良しとする人だった。 しかし、作家としての三島は作品中に自身の考えを決して盛り込もうとしなかった。 彼の2面性は理解は困難だ。しかし、それが「三島」だと私は感じることができる。
遺作「豊饒の海」で、三島ははじめて自身の分身と思われる人物を登場させた。三島自身、現実世界と作品の区別がなくなってきた、そして、その物語を書き上げることは自らの死を意味するだろうと周囲に仄めかしていた。死の直前、三島自身が主催した個展は黒尽くめでまるで自分の葬式のようだったという。その実、「豊饒の海」を書き上げたその日、三島由紀夫は自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。
行動家の三島と作家の三島の交差したポイント、そこは彼の美学が積極的に選んだ終着点だったのか、美学の墓場だったのか…
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さて、本作。残念ながら結論は導かれていない。中盤過ぎまで、論点は彷徨ってるかのようだったし、正直に言って、最後まで作者の意図がどこにあったのか定かではなかった。 しかし、様々な分野で活躍する人のコメントは、三島と縁があるものの三島作品を読んだことのない能楽師のコメントもあれば、三島文学に影響を受けながら必ずしもその生き様に肯定的でない劇作家のコメントもあり、三島への想いもいろいろあるものだと感じることはできた。
また、ほとんどがインタビューの回答調であるのに対し、故・野村万之丞氏は鑑賞者を意識した語り調となっており、判りやすくて面白い。 この辺りの論調の違いが作品としてチグハグした一要因だと思うけど、私自身、三島について語り合える友人が周囲にいないので、いろいろ参考にはなった。
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