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[コメント] 蜘蛛巣城(1957/日)

鷲津(三船敏郎)の演技は演劇調の大芝居、その妻・浅茅(山田五十鈴)は能の如く静謐で精妙な演技。沸騰する怒鳴り声と、細く冷たく震える声。床をドカドカと踏む足音と、神経に触れる衣擦れの音。対照的な二人の対話を軸に据えた構成は面白いが…。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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この二人の演技合戦の他は、動く森の場面と、矢の雨が降る場面、この二つだけが見応えがあった。それ以外は、殆どの場面が冗長に感じられた。この二つの場面が良かったのは、顔の見えない軍勢の無言の敵意を感じさせ、国獲り物というよりは戦国ホラーと呼ぶのが相応しいこの作品の性格が尖鋭な形で表れていたからだ。

敵の顔が見えない点は、この作品が鷲津とその妻の主観に焦点を当てている事による。二人は老婆の予言に操られ、と言うよりは、予言によって目覚めさせられた彼ら自身の欲望に翻弄され、栄華と破滅の道を進む。自らの疑念と罪と傲慢さによって自滅する二人は、言わば二人芝居をしているようなものなのだ。

浅茅は夫に、その友・三木や主君が影で裏切っているかも知れない、という、可能性の存在を最初は提示する。だが、主君が夫の砦に泊まった夜には、こんな機会は二度と到来するものではない、と唆し、暗殺した主君から受け継いだ蜘蛛巣城をその三木の子に譲ろうとする夫に対しては、懐妊したと告げる。つまり、可能性の提示によって疑心暗鬼に陥らせた後、今度は、今この瞬間に自らの利益を取らなければ、永遠にそれが得られなくなるのだと告げ、可能性・選択肢を狭めて、夫を、引き返す事の出来ない道へと誘うのだ。だが、その彼女自身、夫を巧く操っていた筈が、主君の殺害現場に居合わせ、茫然自失の夫の手を取ったばかりに、その時に手に付いた血の幻覚に悩まされ、狂気の淵に沈む事になるのだ。

老婆は、運命の糸車を回し、鷲津を蜘蛛の糸に絡めとるような存在にも見えるが、老婆自身もまた、運命を紡ぐ一本の糸でしかなかったようにも思えるのだ。いかにも怪しげで悪意を抱いているようにも見えるが、実は老婆は、鷲津に対しては助言をしているだけだったとも言えるのだ。最初の予言では、蜘蛛巣城の未来の主を告げているだけであったし、また、この時点では鷲津の破滅を予言していた訳でもない。鷲津自ら、蜘蛛の巣の獲物としてその身を捧げてしまったのだ。この辺りの脚本の妙がどの程度シェイクスピアの原作の力によるのかは、未読なのでなんとも言えない。運命と自由意志について少し考えさせられる所はある。

冒頭と末尾に現れる、城跡の場面は、陰鬱な調子で流れる歌から断片的に聞き取れる歌詞が鬱陶しい。何やら、城跡に観光に来たら有り難迷惑な因果応報話を聞かされたような心地になる。予言の老婆の歌を長々と聞かされるのも面倒に思えたし、作品全体に余計な抹香臭さや教訓臭が漂っているのが難。

台詞は確かに聴き取り辛いが、情景や演技によって状況は理解できるので、台詞回しは大部分、人間の「吠え声」として登場人物の感情さえ伝えていれば用が足りていた。尤も、それでもやはり、もう少し聞き取り易くしてほしい箇所が無かった訳ではない。或る程度はマイナス点とせざるを得ない。

老婆の不気味な声色は、観終った後にも耳に残る。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] 水那岐[*] おーい粗茶[*]

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